本気が度を越すと狂気=笑いに昇華する。飽和状態にあるハリウッドのアメコミ原作ものは、そろそろチャウ・シンチーの熱量と作劇を見習うべきなのではないか。
老人性痴呆という設定とアウシュヴィッツ=過去を見せないところがミソではあるのだが、それだけという気がしないでもない。マーティン・ランドーの素晴らしい存在感。
時がためられた信念は生き方になる。修一さんの台湾訪問、英子さんはなぜじゃがいもが苦手なのかということ。このご夫婦の原点にある戦争というカタストロフがちゃんと映し出されている。そこが素晴らしい。
これは『リアル 完全なる首長竜の日』でも感じたのだが、SFというジャンルは黒沢清にとって鬼門だと思う。
人間から概念を採取する宇宙人という設定。「所有」という概念を失った者は争いごとの無益を説き、「>>続きを読む
まさかの号泣。英国文学伝統の孤児=熊という主題の変奏であり第一級のパロディ。ウェス・アンダーソンのポップでキュートな世界観を下地に、ミッション・インポッシブルばりの活劇が展開される(しかも演じるのはニ>>続きを読む
エンドクレジットに「AMBASSADOR OF GOOD WILL : ALEXANDRA MALICK」という名前。
既成曲による音楽がことごとくうるさく、ドラマを陳腐で安っぽいものにしてしまっている。それは物語が主人公の回想=ナレーションという後付けられた視点から語られているためだろう。つまり、人物たちの感情の動き>>続きを読む
ひとりの女性をめぐる男二人が「血闘」の前夜に杯を交わして与太を飛ばし合う。あるいは、頼りないおじさんが最後に見せる心意気と後ろ姿。
アメリカン・ニューシネマを愛する山下敦弘監督が好みそうな要素はいく>>続きを読む
この手のコメディはドメスティックなリアリティを下地にしているからこそ、そこからの飛躍が面白いのだけれど、スパイというある種のファンタジー的な要素が入ることで、その荒唐無稽な面白さは相殺されてしまった気>>続きを読む
スコット・ウォーカーの音楽がドラマの空疎を糊塗しているようにしか聴こえない。かと言って、演出は現象の記録に徹しているわけでもない。だから、最後に匙を投げてしまう。
アフレコで得た自由によって池袋という街を徹底して記録し、社会と斬り結ぼうとしている姿勢は理解できる。リブートという企画の意図に最も沿った作品だと思う。
アクション描写が致命的に弱い。そして原作未読にも関わらずダイジェスト版の感が否めないというのはやはりいかがなものかと思う。
とはいえ、もし自分が10代の頃に観ていたら、きっとワクワクしながら楽しんだ>>続きを読む
野性の少年からエリオットと自転車を経て、ピートへと継がれるアメリカ映画最良の物語。それは迷い子、孤児=英雄たちの王国だということ。目に見えぬ夢と魔法を信じ、映画という物語を紡ぎだすのはいつだって彼らだ>>続きを読む
すこぶる面白い。『ローズマリーの赤ちゃん』を基調に様々な映画の意匠を取り入れつつ、しっかりと批評性を持つ作品として昇華されている。
外面と内面の齟齬、眼差しの同一化=共感と差異化という人間の持つ二重>>続きを読む
平板で起伏に欠ける脚本ではあるが、演出と俳優は力強い。とりわけ、熱心なナチス信奉者であるベルリン動物園園長を演じたダニエル・ブリュールの、残酷さと優しさがひとりの人間のなかに平然と両立していることは、>>続きを読む
草食動物が肉食動物ではないように、男性は女性ではなく、「動物」は「人間」ではない。これは身体的な性=セックスによる定義。だが、人間はアニメによって動物を「人間らしく」描くことができる。この「らしさ」と>>続きを読む
走行する列車と密室という状況とゾンビという設定を借り、大仰に情緒を煽り立てて手際よくまとめた薄弱なドラマ。
クロースアップと劇的な音楽の多用、即物的な殺人の描写が綺麗さっぱりと排除されている点が致命>>続きを読む
技巧や演出の多彩さとは対照的に、物語に憑かれた作家シャマランの主題はつねに一貫している。
各々が持つ物語同士の齟齬と衝突、和解と別離。
ジェリー・ゴールドスミスからダニー・エルフマンを迂回してマーク・マザーズボー 、トレント・レズナーへと至る映画音楽の裏面史。
「純化された暴力」がひとつの美学にまで昇華したマイケル・マンのデジタル時代における新たな出発点。
予兆や策略を張り巡らせながら、一発の銃撃、ひとつの暴力が着火するや否や、あらゆる感情や因果は一瞬にし>>続きを読む
ラストの取ってつけたようなメタアニメ化=自己言及が破れかぶれで良い。食べ物で遊んではいけません。
母なる存在としてのツインタワー。その外側は存在しない。アメリカという内側にだけ向けられた眼差しと情緒の浅薄さ、脆弱さ。もちろん、このような物語を必要としている人々がいるのは承知している。だがしかし。
エクソシストにオーメン、ローズマリーの赤ちゃんとオカルト映画いいとこ取りの話はともかく、手持ちと長回しの使い分け、近遠を巧みに使ったオバケとの距離感は絶妙。
噂と妄想を抱かずにはいられない、身体感覚として他者との境を間近に(いわば床下の物置的な近さとして)接する団地。そこからあぶり出されていく人間の可笑しさ、悲しさ、豊かさ。ここに描かれている寛容と多様性こ>>続きを読む