重厚なセット空間、加色法の三原色、あるいは血まみれの美学などよりも何よりもジェシカ・ハーパーの目が雄弁だ。黒目の周りが白目になるくらい大きく見開いたり不安で黒目が泳いだりする。そして身の回りに起きる事>>続きを読む
冴えない主人公になぜか人が集まってきて、それがみな揃って面倒な人たち。最後に主人公の部屋で一堂に会して何が起きたのだろうか。
閉鎖的な田舎を舞台にした『燃え尽きた納屋』のようなサスペンスドラマかと思いきや斜め上の展開が続いていく。旧友の実家に居座り別の旧友にモーションをかけ結局旧友を殺害する主人公フェリックス・キシルには一ミ>>続きを読む
『スノー・ピアサー』や『オクジャ』と同様にボン・ジュノのハリウッド作品はちょっと大味だけど、主人公のミッキーをはじめとした頼りなげな人たちの活躍とか、権力者たちの戯画的な描写はいつものとおりだ。エクス>>続きを読む
スピーディな展開とショットを紡ぐ映画の話法。自分がハリウッド映画に求めるものがここにある。
殺陣は素晴らしい。山口馬木也の強い眼差しや身のこなし、冨家ノリマサの往年の時代劇スターっぽい鷹揚なふるまい、それに峰蘭太郎の殺陣師もお見事だ。ただ会話パートにはどうしてもなじめない。
クイアなテーマを丁寧な絵作りで描いている。田舎の建物や自然光中心の絵作りは、描かれる時代は違うけどトラン・アン・ユン『ポトフ 美食家と料理人』に通じる。どちらにもブノワ・マジメルが悲しそうな顔で出てい>>続きを読む
階段の手すりに瓶が置いてある。見ている者の期待を裏切らずにヒロインのミア・ファローこれを落とす。盲いていること、しかもまだその状態に慣れていないことが明らかになる。一夜を一緒に過ごした死体たちに次々と>>続きを読む
初の発声映画(トーキー)にして唯一の記録映画。狙ったようなフィルムグラフィーだ。菊五郎が鏡台の前で立ち上がるときのアクションつなぎに微苦笑。
見渡す限りの空き地に電線の大きなリールが転がっている。空き地の奥手には巨大なタンクが見え、工場から煙が上がっている。都市整備の狭間に生まれた広大な空き地にはその後工場が建設されていったことだろう。旋盤>>続きを読む
似た衣装の大日方傳と三井弘次(秀男)が同じ動作をする。二人の人物が同じ動作をする小津の手癖がとくに際立っている。笠智衆が珍しく反抗的な表情を浮かべるけれど、好漢・大日方の前では赤子同然。大日方傳にシル>>続きを読む
狭い室内でアクションつなぎで細かくカットを刻む神業。一方で物や無言の風景ショットも雄弁。寒い屋内では会話で漏れる息が白く、ストーブや火鉢の上のヤカンからは湯気がたちのぼる。田中がウレオの消息を電話で聞>>続きを読む
丁寧な絵作りに一貫した世界観。でも当方には響かず。気になったのは、人を捉えたショットで人がフレームアウトしたあとの時間が中途半端に長いこと。人がフレームアウトした後にどこでショットを打ち切るかは作家の>>続きを読む
親父を殺した奴らの復讐を果たそうとするクリフ・リチャードソンは、対象者たちを自らの手で殺めることはないし、ゲームを楽しんでいいるかのようにどんな場面でも余裕をかましている。30年後ならショーン・ペンが>>続きを読む
スキャンダル報道で部数を伸ばす新聞の編集長が犯した殺人。この事件の真犯人を部下の記者が追う中で、新聞の部数を伸ばす役割を続けることと、真相が露見する恐怖との相反を、無骨なブロデリック・クロフォードが演>>続きを読む
潜水艦映画にハズレなし。中国語を話す敵国の潜水艦との水中決戦は手に汗を握る。科学者ベラ・ダルヴィは嬌声を上げる野郎どもに女性科学者としての矜持を語って感服させるが、いざ航海が始まると野郎どもはダルヴィ>>続きを読む
映画史に残る突貫小僧の連続平手打ち。畳の上で人が立ち上がる瞬間のアクションつなぎが執拗に繰り返される。小日向傳が斎藤工に見える。
『大学は出たけれど』(1929)、『淑女と髭』(1931)、『東京の合唱』(1931)、『青春の夢いまいづこ』(1932)などと同様に大学生ないしは大学卒業者を題材にしている作品の一つ。笠智衆が映る回>>続きを読む
視線を交わしている二人が同じ方向を向いているように見える、すなわちイマジナリーラインの原則にそぐわない切り返しが何箇所かあってこれが後年の真正面の切り返しに至るのか。複数人が同じ動作をするショットもあ>>続きを読む
エナメルのコートからワンピースまで終始白装束のマルレーネ・ジョベールはオツムが弱そうでいて、窮地に陥った時には的確に行動する。自分を襲った男を射殺して海に投げ捨て所持品を焼却するまでの手際良さ。結婚式>>続きを読む
同じ時期に製作された『生まれてはみたけれど』にも通じる子どもたちの世界。父親と子どもはどちらも言葉に詰まると尻や頭を掻く。この時期の小津作品で住居内に溢れている英語文字が本作では少ないが、岡田時彦が得>>続きを読む
家の外と中の人物の切り返し。屋外で恋仲の二人が座る完璧な構図。列車と並んで疾駆するトラック。
自動的に文字を打つタイプライターや心霊現象はみなマジックという設定なれど、ロバート・ヤングの居宅の自動ドアが音声認識によって操作されるのもマジックなのか。「女性霊媒を演じるグローリア・ホールデンの虚空>>続きを読む
ルーブル美術館内のかけっこも三人が踊る場面ももちろん素晴らしい。なにより全編を通じてこわれもののように儚げなアンナ・カリーナに心がざわつく。
説教臭くなりかねない題材だったり、狂騒的な描写が続くのになぜか心を掴まれるのは、すべての登場人物たちに対する温かいまなざしのゆえだろう。主役のアノーラやその職場仲間、心底おバカなロシアの御曹司、間抜け>>続きを読む
バイオピックで実在の人物を演じる俳優の演技が形態模写にしか見えないときがある。レミ・マレック(フレディ・マーキュリー)やブラッドリー・クーパー(レナード・バーンスタイン)もそうだった。本作のティモシー>>続きを読む
アパートの部屋で髭もじゃの岡田時彦と川崎弘子が向かい合って座っている。岡田は就職できないことを嘆く。川崎が目を転じると次のショットで岡田も同じ向きに目を転じる。すると次のショットはビルから突き出た床屋>>続きを読む
ロバロドの『スパイ・キッズ』シリーズをさらにゆるくした感じ。老け顔のフランク・デュボスクはジャン・レノの倅に見えない。Netflixシリーズ『エミリー・パリに行く』に出ているブルーノ・グエリーは面白い>>続きを読む
数多いアレン作の中では(あと一作でコンプリート)好み。(売れっ子映画監督の狂騒的な生活と幻想はまるっきり『8 1/2』で鼻白みそうなところ、シャープな笑いと映画的な描写が楽しめる。撮影はゴードン・ウィ>>続きを読む
作り手たちが作り手たちを描く作品世界に深く深く共感していることが伝わってくる。ただ、劇伴音楽と音声とのバランスが極端で、音声を聞き取ろうとしてヴォリュームを上げたら、劇伴音楽が盛り上がったときに我が家>>続きを読む
ディテールが作り込まれたフェイク伝記映画。ウディ・アレンの『ギター弾きの恋』とかトッド・フィールドの『TAR/ター』の系譜。本当の伝記映画は史実とか実物に縛られて、たとえば『レニー』はずいぶん窮屈な映>>続きを読む
ショーファー(お抱え運転手)の制服とサングラスがよく似合うアラン・ドロンは美貌と卑しさが同居している。走るトラックの正面にすがりついたりダッシュで走ったり身のこなしが軽い。絵空事っぽいサスペンスプロッ>>続きを読む
シガニー・ウィーバーの熱演映画。帰りが遅い夫に憤り用意したディナーとワインを納戸に持ち込んで一人で食べ始めたり、見知らぬ自動車が近づいたのを見るやすかさず拳銃を手に取るオープニングからヤバさが際立つ。>>続きを読む
快調なシオドマク。酩酊してスタンウィックにぐいぐい迫っていくウェンデル・コーリーは今なら警察にタレ込まれるレベル。全体に暗い画面が多い中で、殺人の舞台となる屋敷内のカーテンや、その後に事件を糊塗しよう>>続きを読む