一回り以上歳上の、金と地位に恵まれた男と結婚した17歳のエフィを主人公にする。
レースカーテンや衝立、漁網などの格子状の構造物越しのショットや、鏡越しのショットが多い。
とりわけエフィを捉えるショット>>続きを読む
ロトに当たった直後、まるでフランツが画面を支配しているようにカメラはソファにどっかりと構えた彼を捉えたまま動かず、新しい恋人がカメラの外に移動して酒を注いだりしていた。
ところが、馴染みのゲイバーで米>>続きを読む
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ソファで眠る男を映しつつ、手前のガラスに外を走る電車が反射するショットが印象に残った。観客席で思わず声が出そうになった。
思えばこの男が最初に映ったショットもアクリル板越しだった。
バカンス前最後の仕>>続きを読む
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フリッツ・ラングの映画で人が死ぬ時はなぜだか上品だ。子供を標的にするシリアルキラーを描く「M」では子供の持っていた風船が空に舞い上がることで子供の死を表現していた。この作品では女性に撲殺され床に倒れた>>続きを読む
球磨子と夫、車を近景に収め、その遠景に夕暮れの小さな漁港を小舟が進むショットなど、疑惑に駆られる人物達がぎこちなく会話する近景と、雄大な自然の中で人々の生活が営まれる遠景を同一画面内に収めるショットが>>続きを読む
盛った生気湧き出る野次馬の群衆と負け戦に挑む男の対比は絶望的な状況だが、鼓の音が流れる殺陣のドライブ感がそれをつかの間忘れさせてくれる。
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一応SFでありながら20世紀前半のアールデコ様式の建築や内装、アナログな機械、クラシックカーなどの美術面は素晴らしかった。
戦争や温暖化による荒廃で最新のIT関係技術やインターネット使えなくなり、なん>>続きを読む
クソ上司を皆で殺しに行く話。
ATの戦闘は守る方が不利なのかもしれない。防御側の敵は装備の質、数で勝っているが、防衛戦なので持ち前の機動力を活かせていなかったように見えた。
細い通路で戦うシーンや爆発>>続きを読む
クレイグ・ギレスピー監督の作品は「アイ・トーニャ」に続き2作目の鑑賞。
ある女性がヴィランと化していく過程を描く。「アイ・トーニャ」でもそうだったが、癖が強くて魅力的な中高年女性を描かせたらこの監督の>>続きを読む
クルエラを見るためにクレイグ・ガレスピー監督の過去作である本作を鑑賞。
愛か憎悪かの二極に振れるアメリカという国の象徴としてトーニャ・ハーディングを描く。憎まれることを通じて愛されるヒール役、ヴィラン>>続きを読む
1964年東京オリンピックを機に建設された公営住宅の都営霞ヶ丘アパートは2020年東京オリンピックのために取り壊されることになった。住んでいた住人は立ち退きを余儀なくされた。中には64年のオリンピック>>続きを読む
母は画面の外へ出ようとする息子を必死に追いかける。カメラは母の動きに従い、息子は画面端に見え隠れする。やがて息子は母の哀訴を無視して去ってしまう。この構図は現代(戦後)を舞台にした同監督の「赤線地帯」>>続きを読む
列車やカメラのフィルム、流れる川など時間を連想させるモチーフが何度も画面に映る。典拠は覚えてないが、リュミエール兄弟の「ラシオタ駅」で列車の窓に反射する光が、映画フィルムに見えるという話があった気がす>>続きを読む
最後の華子のまなざしの先は元夫でよかったのだろうか……
どうしても「燃ゆる女の肖像」のラストと比較して見てしまった
作中のセリフでもあったように女性同士の連帯を妨げるものがあり、なおかつ階級を超えた連>>続きを読む
前作「友だちの家はどこ?」とは違い、画面の内外を問わず父子は繋がる。それは被災地という特殊な状況がそうさせるのか。前作に老人役で出ていた村人が映画の演出について語るシーンは映画という枠を観客に意識させ>>続きを読む
クスクス笑えるような会話の中でスッと不穏な空気が入り込むも、映画全体の雰囲気を壊さないバランスが心地よかった。画面はフィックスが多い上に映画に登場する男女は皆それぞれの距離を保ち、肌が接触することはな>>続きを読む
カットバックをほとんど用いないで人物の会話を撮ることでその周囲の雰囲気も同時に撮るような手法をとっている。
そのことによって会話をしている人物の周囲の群衆や街並みもカメラによって等価に捉えられ、そのこ>>続きを読む
凄まじい顔の圧と、それに負けないしっかりした構図が素晴らしかった。雑居房で話す二人をカットバックで捉え、揺れる電灯の光が話す人物を照らすショットや円卓を真上から捉えるショットなど今から見ても新鮮なショ>>続きを読む
詩的、演劇的な置き換えと荒々しい南米チリの直接的な描写の落差が印象的だった。
2018年の渋谷UPLINKで同監督の「エンドレス・ポエトリー」を号泣しながら見ていたことを思い出した。当時よりスペイン語>>続きを読む
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我慢に次ぐ我慢を強いられ、その我慢が限界に達したときに殴り込みをかけて敵を倒していくラストは日本の任侠映画の様式に似ていた。男と女が結ばれないのは任侠映画と一緒だが、男が男社会の義理のために死地に行く>>続きを読む
抑圧者が被害者と加害者の役を演じるなら我々も同じことをするというセリフに、加害者と被害者という立場はシームレスに移行可能であるということが現れていると感じた。
切腹のシーンなど、地を這うようなショットやトラックが多い本作で、突然現れる俯瞰のショットは何だったのか。ハラ軍曹がお経を読むシーンでローレンスを捉えるショットとハラ軍曹の独房でハラとローレンスが座り込>>続きを読む
フレームの外とどのように関わるかという点に注目してこの映画を見てみる。母親から投げつけられるノートやベランダから落ちるか洗濯物、家の玄関から投げられる石は全て画面の外から主人公に向かってくる。これらと>>続きを読む
ネット上の未成年に対する虐待についてのドキュメンタリー映画。成人俳優が12才であることを装ってSNSアカウントを開設し、彼女らと男たちのやり取りを記録する。印象的だったのは男たちの服装や自らの身体に対>>続きを読む
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カタルーニャ出身の女性監督イサベル・コイシェの作品。様々な形の連帯が描かれていた。女子教育は始まったばかりで20世紀中頃まで文盲の女性が多かったスペインで、マルセラの母が娘にこっそり本を渡すシーンや異>>続きを読む
ヨルゴス・ランティモスの映画の人物達はルールに従って生きているかルールを課せられると友人が言っていたが、この映画でもそれが言えると思う。食事や家事、禁酒などの日常的に自らに課したルールがマーティンの課>>続きを読む
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冒頭の特殊効果などは溝口作品には珍しかったが、二人の人物が会話しながら移動するショットがこの作品でも印象的に用いられていた。赤線地帯でも用いられていた一人が動き、もう一人が画面から外れつつその人を追う>>続きを読む
ガルシア・マルケスの小説「百年の孤独」でマコンドという村に初めて映画がやってきたときに、観客は映画の中で死んだ男のために涙を流したが、二度目にその映画を見た観客は激怒した。一度目に見た映画で墓に入った>>続きを読む
二瓶勉作品のような世界観を、僅かなスタッフで90分のストップモーションアニメに表象する狂気。生殖機能を失った人類が、地下世界の生物に活路を見出し地下を探索する物語、男根を追い求めつつ男根に脅かされる恐>>続きを読む