RyotaMori

東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパートのRyotaMoriのレビュー・感想・評価

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1964年東京オリンピックを機に建設された公営住宅の都営霞ヶ丘アパートは2020年東京オリンピックのために取り壊されることになった。住んでいた住人は立ち退きを余儀なくされた。中には64年のオリンピックの際に立ち退きを命じられ、この霞ヶ丘アパートに引っ越してきた人もいる。つまり二度のオリンピックで住む場所を追われたということだ。
このドキュメンタリー映画は、アパートに住む人々の生活を淡々と、少し引いたショットで移す。住人のほとんどは何十年とそこに住んだ高齢者であり、彼らの身体に刻まれた皺や染みと同様に、経年によって建物や部屋についた染みや傷は、彼らがそこで過ごした年月の証だ。カメラは建物と人という単純な地と図の関係に囚われず、建物と人を等価に捉える。私が鑑賞していた際も人だけでなく大量のモノが蓄積した部屋の細部、例えばダンボールに書かれた文字や部屋の奥にあるドラムセットといったモノをしばしば注視していた。
物と人を等価に撮れる作家はそう多くはない。フィックスを多用する本作の青山監督は、手持ちカメラを特徴とする中国の王兵監督とはまた異なる手法で人と物を等価に捉える。
花火で建物が照らされるショットや暗い部屋でテレビを見つめる住人を捉えたショットはそこにカメラがあることを忘れられる程に美しいが、霞ヶ丘アパートをテレビ局が取材する様子を捉えたショットを挟むことによって観客にカメラの存在を思い出させ、映像美による陶酔から覚めさせる。
建物や部屋にある生活の跡は住人が長い時間をかけて自らの生活を最適化し、地域コミュニティを形成してきた軌跡でもある。上映後に監督のトークショーがあり、立ち退き後に亡くなった元住人の方も多くあったという。土地とコミュニティから引き剥がされた人間の脆さと、今回の開発の暴力性を意識させられた。
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