まさに集大成と言っていい。『風立ちぬ』が引退作にならなくてよかった (あれはあれで好きだけれど)。
柳川という特異なロケーションもあいまって、終始夢心地のようなあいまいさで情景が積まれていく。まるである種の幻想郷のようだ。そこでは過去がたやすく立ち現れるし、現在の時間を超越した事象が起こりつづける。>>続きを読む
カメラが動きすぎるのが好みじゃなかったが、ロープウェーという稀有な舞台装置を活かしたダイナミックな画づくりはとても豊かで目を見張る。独特な編集のリズムは健在だった。
道中の急きたてられるような焦燥感から一転、親父との邂逅後のゆるやかな時間の流れがバカンス映画っぽくて良かった。つなぎ方なのかホン・サンスばりに多用されるズームのせいなのか、終始コントっぽくてシリアスな>>続きを読む
これを劇場で観られたことが自分の人生におけるひとつの重要なファクターになるような気がしてならない。
あまりスクリーン向きじゃないというか、そこはかとないネトフリっぽさ。被写界深度を浅くしたりスローモーション駆使したり。なのに画面はスタンダードサイズっていう歪さは意図がよくわからないが、雄弁すぎる劇伴>>続きを読む
毎度そうだがこのシリーズはサウンドトラックが良すぎる。Spacehog「In the Meantime」のシーンなんて最高の音MADじゃん。エンドロールのReplacementsからのRedbone(>>続きを読む
さまざまな夜の光を捉えた映画としては間違いなく一級品。ストーリーもキャラクターもどうでもいい、映画はこういうものでいい。
ド直球のタイトルにそれ以上でも以下でもない内容。ニューヨークの風景にフランス語のモノローグがのる(そして書き手と読み手の分離)という幾重もの倒錯、試みとしては充分おもしろかったが撮影と編集に関してはも>>続きを読む
アケルマンの撮ったミュージカルと聞いて想像もつかなかったが、思っていた以上にポップで軽やか。まるでロメールのような放埒さ、とも形容できる。歌唱パートは同時代的な流行歌然としたサウンドが多めなのも不思議>>続きを読む
たまに思いだしては見返す、ただそれだけの映画。
機械的でわざとらしいズームアップ/ズームアウトの多用と、その窮屈さから解き放たれたかのようなダイナミズムのある回想(?)シーン。後者における、子どもの視座に寄り添うかのようなローポジションが、どこかデ>>続きを読む
やはりモチーフとして思いだすのは初期キタノ映画の作品群で、過剰さをよせつけない抜き差しのバランスにすぐれた演出が16mmフィルムによる画面の温かみとあいまって朴訥で柔和な質感をもたらしていた。打撃音や>>続きを読む
シュミット的なものとファスビンダー的なものをかけあわせた異形のメロドラマ、とでも云うべきか。炎と水の対比が猛々しくて鮮烈。ライティングもずっと妖しさを醸していて美しかった。
かかわった人たちの証言をもとにひとりの女性の自由で孤独な旅をたどる、ヴァルダっぽい作風が前面に出た作品と言える。寒々しさが伝わってくる音と風の演出が良かったし、横移動やロングショットを効果的に散りばめ>>続きを読む
毎回おなじようなテーマだからこそ、新作を撮るたびに演出力に磨きがかかっていっているのがよくわかる。カラオケのシーンとかちょっとエドワード・ヤンっぽくて泣けた。カラオケがエモ喚起装置だと気づいてしまった>>続きを読む
ジョーダン・ピールは3作目にして"ありえない"大作を撮ってしまった。シャマランや黒沢清もそうだけど、理屈抜きでおもしろいと思わせられるものをつくれる数少ない映画作家ではないか。有無を言わせぬ圧倒的な画>>続きを読む
冒頭におけるジェームズとヘレンの邂逅、正面衝突したそれぞれの車のバッキバキなフロントガラス越しに双方の視線をカットバックで交錯させる流麗な手さばき。後部座席のカーセックスを運転席のジェームズの横顔から>>続きを読む
各章いずれも短篇として成立しうる物語の強度を備えていて、でも一本の映画としての強度とイコールかというとそうでもなく……。ふつうにVODの連続ドラマフォーマットで観たかった気持ちがある。
女形に扮した舞台上の坂東玉三郎と子どもに寄り添って観劇する客席の坂東玉三郎を(音声はシームレスに繋いだまま)カットバックしてみせる編集とか、ハナから歪でおもしろい。そして最終盤の『鷺娘』のシークエンス>>続きを読む
低予算なアメリカンニューシネマ。撮影はお粗末だけれど人間くさい挙措を掬いとるセンスが面白くて見入ってしまう。ケリー・ライカートの作品群を思い出した。
あまりにも歪んでいる……。カット割りもショットサイズも冗長スレスレの会話劇も取ってつけたかのような青春疾走シーンも、どこをとっても歪で可笑しい。それでいて『パンチドランク・ラブ』を彷彿とさせるストレー>>続きを読む
前作おける物語の推進力だったヘテロセクシャルなラブロマンス要素は影をひそめ(一切ないわけではないが)、前作を踏襲する因縁めいたバディものとしてのブロマンスに大きく舵をきっていた。結果それが功を奏し、予>>続きを読む