んぎさんの映画レビュー・感想・評価 - 5ページ目

パリのランデブー(1994年製作の映画)

-

ただの街ブラをここまでおもしろく撮れるのだからすごい。ドラマがなくても映画は映画たりうるということ。ロケ撮影の名手としての風景や音の切り取りかたの絶妙さが、決して派手ではないパリの日常を特別なものに仕>>続きを読む

デカローグ デジタル・リマスター版(1989年製作の映画)

-

御多分に洩れず食らってしまった。10時間ずっと凄まじい……脚本も演出も巧すぎるでしょ。キリスト教的なモチーフを象徴的に散りばめつつ、あくまで個人的な関係性に焦点を絞って描かれていたのが印象的。それは往>>続きを読む

スウィート・シング(2020年製作の映画)

-

アメリカ映画のエッセンスが詰まりまくり。途中までだいぶシャマランみたいだった。でもモチーフがありすぎて散漫としているというか、上澄みだけさらったようにも見えてしまう。子どもの目から見て大人たちは悪役で>>続きを読む

サウダーヂ デジタルリマスター版(2011年製作の映画)

-

会話劇としてのテンポの良さに改めて驚かされる。田我流をはじめとして、みんな熟練の役者というわけではないのに喋らされている感じが一切なく、台詞がやたら耳に馴染んでくる。演者たちがフリースタイルでスピット>>続きを読む

どうにかなる日々(2020年製作の映画)

-

止め絵が多いのが気になった。これは原作もあまり好きじゃない。志村貴子作品の映像化は過去の成功例もあるのだからぜひテレビアニメでお願いします。

旅のおわり世界のはじまり(2019年製作の映画)

-

本当はキアロスタミをやりたかった(はず)なのに国産シネコン映画的なわかりやすいドラマツルギーに絡めとられて中途半端な感じになったというか。間に合わせのようなアップショットも多くて黒沢清らしくない。それ>>続きを読む

アメリカン・ユートピア(2020年製作の映画)

-

40年ちかく前の『ストップ・メイキング・センス』とは当然アレンジもコンセプトも別ものだが、ステージ演出へのこだわりは相変わらず凄まじい。正直あんまり乗れなかったけど「Blind」から「Burning >>続きを読む

THE DEPTHS(2010年製作の映画)

-

扉を開ける/開けられるときにはすでに重大な事件は起こっていて、望むと望まざるとに拘らずそれを目撃してしまう第三者の視点の介在によって、物語が猥雑にこんがらがっていく。ここでいう第三者の役回りは往々にし>>続きを読む

春、バーニーズで(2006年製作の映画)

-

ふとした瞬間に日常の裂け目に触れてしまったときの、畏怖にも似た恍惚の感覚。幸福のベールに覆われた麗らかな光景の裡に横たわる、その危うさに心を揺さぶられる。ここぞという場面でのカットバックが強烈で、カメ>>続きを読む

つぐみ(1990年製作の映画)

-

淡い画面とゆるく流れる夏の日々、そのなかで異物のように凛と際立つ牧瀬里穂の超常的な佇まい。此岸にしろ彼岸にしろ、ともにその対岸へまなざしを向けることはできても、決して交わることはできないのだということ>>続きを読む

ヘカテ デジタルリマスター版(1982年製作の映画)

-

その黄金の髪が潮風に揺れるがごとく、女自身もまたのびやかに飄々として、絶えず掴みどころのない存在に映る。まさしく幽霊のような実体の捉えがたさで、内面をけっして表白することなく声と身体のみで男を惑わすさ>>続きを読む

ベレジーナ(1999年製作の映画)

-

晩年にここまでエンタメに振りきった作品を撮っていたとは知らなかった。劇伴もすごく俗っぽい、同時代のゲーム音楽みたい(ダニエル・シュミットらしい歌劇演出もあって、その歪なパッチワークが面白かったけれど)>>続きを読む

海辺のエトランゼ(2019年製作の映画)

-

いくらなんでも展開が大味すぎて機微がない。1クールのアニメを無理やり劇場版サイズにまとめたのかと錯覚するほど。沖縄に住みたいねえ。

地獄の警備員(1992年製作の映画)

-

大企業なのに社屋はほぼ廃墟で給湯室の帳はなぜか半透明のビニール、これは紛うかたなき黒沢清の映画ではないか。ことあるごとに閉じこめられて加害者と対峙せざるをえない状況に晒される展開ももはや馴染み深い。配>>続きを読む

色情団地妻 ダブル失神/わ・れ・め/笑い虫(2006年製作の映画)

-

徹頭徹尾ヘンテコだった。日常に異物が闖入してくるというよりは日常そのものが異物の集積で成り立っているとでも云うかのよう。姿見反射セックスも演舞女会長も入浴カレーも突拍子ないのに腑に落ちてしまう、そこに>>続きを読む

エドワード・ヤンの恋愛時代(1994年製作の映画)

-

『恐怖分子』において重要な装置として機能していた"電話"が、本作でも効果的に多用されていた。表情の見えない声と声だけのコミュニケーションとして、人物どうしの物理的/心理的距離感の表現として。でもそのあ>>続きを読む

恐るべき子供たち 4Kレストア版(1950年製作の映画)

-

まず衣装と美術が素晴らしい。前者は当時あぶらの乗っていたディオールのオートクチュール。登場する女性たちがさまざまなルックを着こなしており、もはやファッションショーの様相を呈している。子供部屋の秘密基地>>続きを読む

オリーブの林をぬけて(1994年製作の映画)

-

映画製作という営為を通して人間の機微を穿つ試み。カメラのまえで役を演じる俳優たちにもそれぞれの人生があり、そのフレームと地続きの日常を生きている生活者にほかならない。虚実のあわいで翻弄される市井の悲喜>>続きを読む

愛の誕生(1993年製作の映画)

-

男と女のあいだに横たわる果てしない断絶について。双方が同じフレームに捉えられるショットの、枕元でささやかれる空虚を撫ぜたような言葉の応酬がもの悲しさを誘う。人間どうしの関係における"愛"というものの不>>続きを読む

わたしのSEX白書 絶頂度(1976年製作の映画)

-

インモラルで退廃的。コスモスファクトリーの劇伴が哀愁を誘う。姉弟の最後の抱擁、その後景で徐々に明度を増していくライティングが美しい。ワンカットで夜から朝に至る、鮮やかな時間経過の演出に心を掴まれた。

トムボーイ(2011年製作の映画)

-

人物を単独で捉えたショットがとにかく良い。あと妹と同じベッドで寝るシーンの主張しすぎないライティングも。『燃ゆる女の肖像』のときも思ったけれど、画面ぜんたいの静謐さは保ちつつもそこに過度なわざとらしさ>>続きを読む

ギミー・デンジャー(2016年製作の映画)

-

イギー・ポップ本人の尖りきった狂いっぷりとは裏腹に、ドキュメンタリーとしては良くも悪くも優等生的な仕上がり。ジャームッシュのHIP HOPマナーなサンプリング編集がかえってノイズになっている気がしなく>>続きを読む

時代屋の女房(1983年製作の映画)

-

女たちの不在性によって物語が駆動し、男たちは途方もない不確かさのなかで懊悩とともにその身体を追い続ける。過去に妄執するさまは惨めで哀れだが、ふしぎと陰鬱でネガティブな雰囲気に陥らないのはさすが森崎東と>>続きを読む

ストップ・メイキング・センス(1984年製作の映画)

-

ほんとうに奇跡的な音楽映画。ステージ演出の素晴らしさは言わずもがな、デヴィッド・バーンの飄々としつつも知性と情熱を併せ持った佇まい、グルーヴィーでタイトなアンサンブル、それらと呼応して熱を帯びてゆくか>>続きを読む

悶絶!!どんでん返し(1977年製作の映画)

-

性差や主従関係によって一方的にもたらされるバイオレンスが、その地続きにあるセックスにおいては見た目上まるで平等なものに成り代わってしまう。ハラスメントという概念が浸透した現代においてもいまだ横行する常>>続きを読む

現代娼婦考 制服の下のうずき(1974年製作の映画)

-

途中ちょっと寝てしまいそうだったが廃工場のシークエンスからずっと凄い。畳みかけるようにスタイリッシュなショットの連続。機械の駆動音に掻き消される息づかい。濡れ場はぼかし処理ではなく遮蔽物を手前に置くこ>>続きを読む

エロスは甘き香り(1973年製作の映画)

-

低予算によるチープさを補ってなお余りある藤田敏八の強烈な作家性。ロマンポルノで好き勝手にとんでもないものを撮ってやろうという野心がその偏執的ともいえるカメラワークや美術から見て取れる。冒頭の足裏アオリ>>続きを読む

マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”(2019年製作の映画)

-

めちゃくちゃ面白かった。ブランドを象徴する4ステッチタグや足袋ブーツなどのアイデアが誕生した経緯だったり、その孤高のデザイナーの包み隠されてきたパーソナリティだったりを、コレクションとモードの歴史に準>>続きを読む

黒薔薇昇天(1975年製作の映画)

-

FUCKという単語がスラングとしてではなく本来の意味でのみ多用されるのがシュールすぎる。唐突に挿し挟まれる冗談のようなアクションシーンが強烈で、しかも映画の半分を占める濡れ場と比べて空間の奥行きをバリ>>続きを読む

恋人たちは濡れた(1973年製作の映画)

-

むきだしの野性は性と暴力の境目を曖昧にする。あまりにも無軌道で放埒なアクションの連続。人と人が分かり合うことのむずかしさを、冬の寒々しい閉塞感のなかで鮮烈に抉り出していた。まるで肉体こそが唯一のよすが>>続きを読む

ヘウォンの恋愛日記(2013年製作の映画)

-

序盤の母親との街ブラシーンと終盤の不倫相手との口論シーンを見較べると、へウォンの表情がまったく異なっていて驚かされる。ホン・サンスの映画における飲み会の描写がいちいち好きすぎる。

新幹線大爆破(1975年製作の映画)

-

新幹線だけでなく、自動車、舟、オートバイ、ヘリコプターなど、ありとあらゆる乗りものを駆使したチェイシングが楽しい。そしてアメリカンニューシネマのような幕引き。回想がリズムを乱す構成だったり、肝心な局面>>続きを読む

邪願霊(1988年製作の映画)

-

なにかが映りこむことを期待して、遠景ばかりに目がいってしまう。ロケーションがずっと真っ昼間なのに恐さが持続していて、これもモキュメンタリーの強みだよなぁと思った。

カフカの「城」(1997年製作の映画)

-

間違いなくカフカだしハネケでもあった。もっとも、映画としておもしろいかは別の話だけれど。ナレーションに委ねすぎているきらいがある。