んぎさんの映画レビュー・感想・評価 - 6ページ目

カフカの「城」(1997年製作の映画)

-

間違いなくカフカだしハネケでもあった。もっとも、映画としておもしろいかは別の話だけれど。ナレーションに委ねすぎているきらいがある。

わらの犬(1971年製作の映画)

-

暴力が暴力を呼び、集団心理によって取り返しのつかないところまで暴走してゆく狂気の有り様。お手本のようなクロスカッティングが鮮烈な印象を残す。スーザン・ジョージはそのしたたかな佇まいが黒沢清のフィルモグ>>続きを読む

黒猫・白猫(1998年製作の映画)

-

スルジャン・トドロヴィッチの無茶苦茶なコメディリリーフっぷりに映画が喰われてる気がしないでもないが、クストリッツァのこの下品な闇鍋感は嫌いになれない。ホークスとフェリーニとド・ブロカと森崎と相米と……>>続きを読む

ミッドナイト・トラベラー(2019年製作の映画)

-

3台のスマホが持ち主それぞれの目となり、それらを巧みな編集で交配してゆく。そのようにして多角的に切り結ばれたイメージから浮かびあがってくるのは、ある家族の克明な生の記録である。途方もない過酷さのなかで>>続きを読む

子供はわかってあげない(2020年製作の映画)

-

風変わりなヴァカンス映画の趣がある。全編とおして海を捉えたショットが良かった。しかしながら、のっぺりとした長回しの連続に途中で撓んでしまった。もう少しカットを割ってほしかったと感じる箇所多し。原作好き>>続きを読む

東京夜曲(1997年製作の映画)

-

傑作。人と人とのゆるやかな連関、そこには時間と空間によって育まれためいめいの暮らしがあり、その綴れ織りで人生が豊穣なドラマとして立ち上がってゆくという至極当然のことを、カメラはなんの衒いもなく誠実に掬>>続きを読む

六月の蛇(2002年製作の映画)

-

窃視の連続によって浮かびあがる歪な三角関係。彼女と彼らは蟻地獄のような欲望のうずまきになす術もなく巻きこまれ、孤独という現代病を抱えながらともに沈んでいく。最後まで交わらない視線と、陰鬱な音階が後味の>>続きを読む

父と暮せば(2004年製作の映画)

-

抑制された演出とカメラワーク。過度な脚色を避け、あくまで原作に忠実に、最小単位による重厚な会話劇にフォーカスしていた。しかし終盤は様相が変わり、膠着した画面を穿つかのように映画的ギミックが炸裂する。と>>続きを読む

愛の新世界(1994年製作の映画)

-

夜のネオンライトから朝もやの白みまで、都会を照らす鮮烈な光のなかをシームレスに駆け抜ける女たちの、刹那的な欲望に身を委ねるかのように放埒とした佇まい。しかし狙った演出なのか、全体的に94年の作とは思え>>続きを読む

ほえる犬は噛まない(2000年製作の映画)

-

序盤は犬の鳴き声や着信音など、"音"の拡がりによって物語を推進させていたが、しだいに視覚優位になっていった印象。その遷移がいかなる演出上の要請によってもたらされ、なにを含意するのかまでは読み取れなかっ>>続きを読む

ミークス・カットオフ(2010年製作の映画)

-

ここぞという場面で挿し挟まれる、じれったくなるほどのロングショットが美しい。上手から下手にむかって、重たい足取りで歩を進める移住者たちに、カメラは決して寄り添うことなく、その背後に拡がる荒涼とした原風>>続きを読む

喜劇 女は男のふるさとヨ(1971年製作の映画)

-

喜劇の皮を被ってはいるが、その実シビアでのっぴきならない人間模様のギャップがすごい。言葉を持たない女たちに代わって矢面に立つ竜子(中村メイコ)の、人生の機微を穿つように舌鋒鋭いせりふ回しに胸打たれた。>>続きを読む

無理心中日本の夏(1967年製作の映画)

-

安い演劇を観ているのかと錯覚するほどに、会話劇に締まりがなくてきつい。画面に映る人数が絞られるとき、つまり、エロスやタナトスが被写体にアクションを促すときの、ゾクゾクするような構図のカッコよさに比して>>続きを読む

迷子(2003年製作の映画)

-

公園のシーンの執拗な長回しに笑ってしまった。ツァイ・ミンリャンがどのていど現場に関わっているのか不明だが、題材の切実さに反して画面は全体的に弛緩していた。フィックス/パンの塩梅がどうもしっくりこない(>>続きを読む

オールド(2021年製作の映画)

-

決定的な事件は画角に収められることなく、突如としてフレームの外からやってくる。遺体が波に乗って流れ着くように、ある行動の果てに不可避的に待ち受ける"死"はいつだって唐突だ。なにが起こったのかを悟るより>>続きを読む

ウォールデン(1969年製作の映画)

-

タル・ベーラの映画を「驚異的な長回し」と評する文章があったが、こちらは言うなれば「驚異的な早回し」。昨今のサブスク倍速視聴の是非に関する議論を鼻で笑うかのように、ぶっ飛んだスピードであらゆる事象が走馬>>続きを読む

ジョニーは行方不明/台北暮色(2017年製作の映画)

-

高架下幹線道路のシーンは『カップルズ』のオマージュかと思った。

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)

-

通奏低音のごとく3時間たえずスクリーンを駆け回る赤い車(SAABという車種らしい)が最後にあろうことか海を越えたときが一番アガった。通して移動の描きかたがやや冗長に感じる部分もあって、尚更その飛躍的な>>続きを読む

ロストロストロスト/何もかも失われて(1976年製作の映画)

-

6リール目が抜群に良かった。ロードムービーの質感を漂わせつつ、秋の色彩や大地と風、潮の匂いが臨場感をもってスクリーンから迫ってくるようで。自然豊かな風景も人びとの親密な様子も、カメラに映るすべての事象>>続きを読む

映画:フィッシュマンズ(2021年製作の映画)

-

ある偉大なバンドの誕生から解体、そして再生までの歴史を関係者の証言と映像記録によって克明にたどる。あくまでファン向けのドキュメンタリーであり、普遍的な物語としての強度は持ち合わせていない印象。個人的に>>続きを読む

希望のかなた(2017年製作の映画)

-

美術やライティングに気を配った硬質な画づくりに途方もない美意識を感じた。どこを切り取っても絵画のように緻密なフレーミングにおいて、演者はあくまで寡黙であることを強いられるが、だからこそ彼らの生気に満ち>>続きを読む

そして人生はつづく(1992年製作の映画)

-

家はないけど人は生きている、その逆も然り。ある災害に襲われためいめいの惨状をことさら悲観的でもなく淡々としたタッチで捉える。映画というフィクションの持つ力を信じているからこそ、キアロスタミはあえて一連>>続きを読む

1秒先の彼女(2020年製作の映画)

-

ポップすぎてちょっと胸焼け。『熱帯魚』『ラブゴーゴー』との3本立てで夏休みに観たらちょうどよく(?)楽しめると思う。

PASSION(2008年製作の映画)

-

複雑な視線の交錯/非交錯を切り結ぶカメラワークと緻密なカッティング。かと思えばここぞという場面でじれったくなるほどの長回しもあり。その抜き差しの塩梅はすでに優れていて、反ドラマ的な会話劇をこうもスリリ>>続きを読む

Playback(2012年製作の映画)

-

なんの前触れもなくふとした時に見る夢のようにおぼつかなく、アンニュイな質感が心地よい。作中で描かれる"車"や"スケートボード"による移動は霧のなかを進んでいくように志向性を欠いて、どこかに到着するころ>>続きを読む

逃げた女(2019年製作の映画)

-

いつにもましてミニマルな構成のような。核心に迫らない女たちのオフビートな会話劇は、過去も未来も捨象してプライベートな空間でただ向かい合う現在のすがたのみを掬いとる。物語を推進させる周縁はさいごまでフレ>>続きを読む

ノマドランド(2020年製作の映画)

-

他人の家に染みついた生活感を殊更に排除するかのような冷たさを帯びたカメラがダイニングテーブルにひとり腰かける彼女の背中を捉えるとき、そのまなざしの先にある窓ごしの朝もやが部屋の陰影を硬質に映しだす。彼>>続きを読む

トラベラー(1974年製作の映画)

-

目的が完遂されなかったがゆえにもはや移動そのものがこの映画のすべてといって差し支えないのだが、停滞を拒みながら狭い歩幅で縦横無尽に駆けまわるさまが通奏低音のようなリズムを生んでいてふしぎと飽きない。疲>>続きを読む

パプリカ(2006年製作の映画)

-

アニメーションのひとつの到達点だといまだに思っているふしがある。

ザ・ライダー(2017年製作の映画)

-

『ノマドランド』の予習(?)も兼ねて。こんなにも馬を立体的にうつした映画は観たことがない。馬と人がおなじバランスで捉えられている、つまり乗馬における両者の関係性が透徹した画面構成からつたわってくる。馬>>続きを読む