んぎさんの映画レビュー・感想・評価 - 7ページ目

シン・エヴァンゲリオン劇場版(2020年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

古き日本映画の趣に満ちた序盤から特撮をまじえた壮大な親子げんかの中盤、そしてシュルレアリスム的ですらある終盤と、全編にわたって庵野秀明の趣味全開、つまり集大成と言える。謎ばかりを残したQの宙吊り感もし>>続きを読む

バグダッド・カフェ 完全版(1987年製作の映画)

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10余年ぶりに再見。アメリカの原風景をそのまま写しとったかのような乾いた画面の印象が強い。そんな土地柄には寂れたモーテルがよく似合う。序盤の目くるめくダッチアングルとかやりすぎなカット割りのB級映画感>>続きを読む

オン・ザ・ミルキー・ロード(2016年製作の映画)

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鳥のように浮遊し、石ころのように落下する愛の逃避行。重厚な密度で映しとられるすべてのものがダイナミズムに溢れている。小気味よすぎてちぐはぐさすら覚える編集は、これこそクストリッツァの映画を観ている感じ>>続きを読む

Seventh Code(2013年製作の映画)

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ウラジオストクを舞台にアメリカン・ニューシネマをやるという野放図な発想にまず驚かされるし、圧倒的なショットの強度によってそれを表層の遊びに留まらせないのが黒沢清の凄さ。ふつうアイドル映画(もとはMVだ>>続きを読む

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)

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麦や絹と完全に同じ世代で似たようなカルチャーのなかを過ごしてきたのでどうにもむず痒い。久しぶりに帰った実家で特にすることがなくて自室の本棚を物色しているときのような感覚。フォーマットの制約もあってふた>>続きを読む

オールド・ジョイ(2006年製作の映画)

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ほんとうに必要最低限というか、わざわざ目を合わせなくても分かってくれと云わんばかりに交わらない目線芝居に並々ならぬリアリティを感じた。気の置けない間柄だからこその気恥ずかしさとか、旧交を温めるにつれて>>続きを読む

リバー・オブ・グラス(1994年製作の映画)

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もともとハル・ハートリー監督作品の衣装デザイナーだったというのをつい最近知った。よれよれのTシャツとか、みんな絶妙にチープでダサいのが良い。ここではないどこかを目指しても結局どこへも行けない閉塞感のな>>続きを読む

魔女がいっぱい(2020年製作の映画)

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ゼメキスの新作ということで。プロップを巧みに使った複層的なフレーム割りなど、視覚的な面白さに賭けた演出が冴えている。物語はよくわからない(悪く言えばストーリーテリングとして破綻しているとしか思えない)>>続きを読む

オールド・ボーイ(2003年製作の映画)

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いろいろと無理のある脚本を差し置いても、終盤の演出のキレにはやはりなんど観てもゾクゾクさせられる。個人的にもっともゼロ年代を感じる映画。

春の夢(2016年製作の映画)

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歩く、触れる、歌う、笑う、人間を人間たらしめるそうした原初的な挙措が、ある一定の運動性をもって(それこそ、劇中でも出てくる玉突きのように)連綿とつながり、その軌道のままにドラマが展開されてゆく心地良さ>>続きを読む

山の焚火(1985年製作の映画)

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風光明媚の山野をバックに据えた縦の構図(崖から墜落する草刈機のダイナミズム!)もさることながら、室内ショットにおける天井の低さゆえの横の構図がやけに印象に残る。そこで捉えられる家族の営みはいささか窮屈>>続きを読む

ポーラX(1999年製作の映画)

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カラックスでいちばん好き。VHSでしか観たことがなかったので、劇場で35mmフィルムの質感と破壊的でインダストリアルな劇伴を堪能できて良かった。ノルマンディの白と緑からパリの鬱蒼とした青へ、その色彩の>>続きを読む

慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ(2014年製作の映画)

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死者に導かれるように辿り着いた土地で失われたものへの視線を共有すること、そうした偶然の交錯によって、本来ならば立ち現れることのなかった関係が紡がれてゆく。神秘的な古墳と街のあかりがフレームのなかで同居>>続きを読む

ニンゲン合格(1999年製作の映画)

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家族の再生の物語として解釈できそうな中途のミスリードから、まるで当然の帰結のように訪れる破壊と死、そこに至るまでのプロセスのすべてが唐突かつ性急に処理されてゆく面白さ。起承転結の流れに委ねない、あまり>>続きを読む

少女ムシェット(1967年製作の映画)

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カッティングがキレキレすぎる。これぞブレッソン! と利いた風な口をききたくなるほどにソリッドな手さばき。執拗な反復と意想外の省略、その連続において華麗に切り結ばれるショットの弛まぬ力強さ。カメラが切り>>続きを読む

バルタザールどこへ行く(1964年製作の映画)

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「どこへ行く」という邦題の指し示すとおり、ロバ(と、それをめぐる人間たち)の彷徨の映画である。ローポジションによるバルタザールや人物の歩様へのフォーカスは、その果てなき移動の悲哀を強く印象づける。サー>>続きを読む

ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(1995年製作の映画)

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さんざん遊びまわった末にたどり着く場所が誰もいない公園というのがいい。夜の芝生の深々としたアイビーグリーンに目を奪われてしまう。こんな出会いかたをしたい人生だった。

満月の夜(1984年製作の映画)

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同時代のポップミュージックをふんだんに取り入れたクラブのシーンなど、ロメールにしてはわかりやすい演出が多い。歌やダンスに頼ることなく言葉の力だけで半ば強引に色恋を始めてしまう人間力(?)に満ちた人物ば>>続きを読む

あなたを、想う。(2015年製作の映画)

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赤と青の原色使いによる雄弁なイメージの積み重ねとその立体感を補強する黒、その色彩美がなければ2時間持ちこたえることができなかったかもしれない。物語は言ってしまえば凡庸で退屈、この手のノスタルジーに寄り>>続きを読む

空に住む(2020年製作の映画)

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被写界深度を浅くして捉えられる多部未華子のアップショットがシンプルに美しい。よくよく考えたら物語としては起伏だらけなのだが不思議とそう感じさせない、宇宙規模で見ればすべて些事に過ぎないと云わんばかりに>>続きを読む

スパイの妻(2020年製作の映画)

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まずもって異様な採光がずっと恐ろしい。逆光によって人物の輪郭はぼかされ、その心中を写しとるべき表情は不気味なまでに柔和に捉えられる。加工アプリのような作り物感のなかでアルカイックスマイルをたたえた高橋>>続きを読む

薬の神じゃない!(2018年製作の映画)

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社会派ドラマとして面白いのだが、いかんせん卒なくまとまりすぎていて演出の余白を楽しめる作品ではないのと、安易な感情移入を促してくるベタな描写や取ってつけたようなアクションに乗りきれない部分もあり。味の>>続きを読む

ヴィタリナ(2019年製作の映画)

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生活感はひたすら画面から排除され、フレーム外からの音がそれを引き受ける。鮮烈な陰影のなかで孤独に佇む人物たちはそれでもなお生々しく、しかし同時に神々しくもあり、何を映しているのか判然としないのに目が離>>続きを読む

ポン・ジュノ アーリーワークス(2008年製作の映画)

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人ではなく生活の総体としての空間を撮るセンスの鋭さ。開け放たれた扉も、その外側にとりまく閉塞感を呼び寄せるかのように空虚に映る。ポン・ジュノという人はロケーションに賭けている人なんだな、というのがこれ>>続きを読む

イサドラの子どもたち(2019年製作の映画)

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見るものから見られるものへ、そして見られるものから見るものへ、3人の女性たちのダンスを媒介とした視線の流れによって、境遇の異なる彼女たちがシームレスにつながって、その中点にイサドラの物語を立ち上がらせ>>続きを読む

行き止まりの世界に生まれて(2018年製作の映画)

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デビュー作とは思えないくらいウェルメイドな出来ばえだった。なにより編集が巧い。滑る=生きることのままならなさのなか、内省に沈みながらそれでも笑顔であり続ける彼らのきらめきに心を掴まれた。

エマ、愛の罠(2019年製作の映画)

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ニコラス・ジャーを起用しているだけあって、音楽へのこだわりが随所に感じられた。アンビエントとレゲトン、対比的な静と動のダイナミズム。クライマックスの場面で両者がマッシュアップするのも見事だった。燃える>>続きを読む

白夜(1957年製作の映画)

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セットが完璧に作り込まれていてむしろ物足りなさを覚えるくらい。抑制のきいたカメラワークとライティング。ナタリアと想い人の邂逅という最大の山場をフィックスのロングショットで捉えるセンスに痺れる。そして、>>続きを読む

フェアウェル(2019年製作の映画)

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電話口で孫娘のピアスを注意する祖母と、通話のたびに浴びせられているのだろうそうした小言を「ピアスなんてしていない」の一言で軽々といなす孫娘。もちろんそれは真っ赤な嘘である。彼女の鼻先にきらりと光るそれ>>続きを読む

TENET テネット(2020年製作の映画)

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この不親切な構成は単なる作り手側の怠慢だと思ってしまうし、札束で殴りかかってくるようなド派手アクション目当てで映画を観ているわけではないので尚更……。でもこれで客足の遠のいた劇場が少しでも活気づけばい>>続きを読む