渋川清彦が演じる、主人公の元上司が見せた嬉し涙が良かった。あんな風に誰かのために泣ける人間でありたい。それから主人公を1歩前へと踏み出させた、栗田科学の人たちが見せてくれた日常のたくましさ。彼らにもき>>続きを読む
10年振りとなる新作で描かれていたのは家族。とはいえ、映画でも小説でもノンフィクションでも、これまで社会の片隅で生きる人々を見つめてきたミランダ・ジュライだから、その家族像も一筋縄でいくわけがない。>>続きを読む
『A』『311』『FAKE』『i-新聞記者ドキュメント-』といったノンフィクション映画を製作してきた森達也が劇映画を撮った、それだけでも観ないわけにはいかない。そんな理由もあって『福田村事件』を観た。>>続きを読む
優しい言葉をかけるわけでもなく、激しく言い争うようなこともなく、しかしお互いのことはちゃんと信じている。もちろん感情的になることはある、人間なのだから。あるいは、プリンを焼いたらジョー・ダッサンのレコ>>続きを読む
初めての〈目黒シネマ〉で初めての『ガタカ』を。SF映画の傑作は優れたヒューマンドラマでもあった。「運命に遺伝子はない」とか、「欠点ばかり探すのに必死で気付かなかったろう(中略)可能なんだ」というセリフ>>続きを読む
静かに幕を開け、静かに終わる。劇伴はなく、主人公が日常の中で目にしたかもしれない風景が映し出されるエンドロールにも音楽は流れない。風景には、世界にはもう十分に音があった。
少しずつテンポを上げていくミ>>続きを読む
過去を生きてきた大人、未来を生きていく子ども、今を生きている私たち。大人も子どもも今を生きる私たち、だから隣り合って歩く。
経験をうまくいかせない大人、感情をうまく表現できない子ども、失敗を繰り返す私>>続きを読む
これまでに観たどんな映画よりも情報量の少ない映画だった。線の一本一本が頼りなくてそれだけではどんなものが描かれるのか検討もつかないけれど、根気強く重ねられていく線をこちらも根気強く眺めていたらいつの間>>続きを読む
先日ついにというか、とうとうというか、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』を観た。これまでに観た中で最長であるロバート・クレイマー『ルート1/USA』の255分をはるかに凌ぐ317分。
濱口作品を観るたび>>続きを読む
1年の最後はバジェットも潤沢、キャスティングも豪華な娯楽大作で〆。冒頭、ジェニファー・ローレンスがウータンクランの「Ain't Nothin' Ta Fxxk Wit」をラップしている場面からテンショ>>続きを読む
小説における句読点を映画で言うならカット割りということになるだろうか。その意味で濱口竜介監督の撮る映画は句読点が少ない。一方で演者の台詞回しにおける独特なトーンや間によって句読点を補っているように思う>>続きを読む
「アメリカの古い音楽に感謝を伝えにきました」細野さんがそう言って古いブギウギを歌い始めると、会場いっぱいのアメリカ人たちが体を揺らした。
「今まででいちばんアメリカを感じた夜だったよ」ライブを観てそう>>続きを読む
東京都写真美術館で開催されているポーランド映画祭でキシェロフスキの『ふたりのベロニカ』を観た。いつか観たことがあると思っていたのだけれど観始めてすぐそれが思い違いであることに気がついた。こういうことは>>続きを読む
「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」は1969年の6月から8月にかけて6回にわたり30万人を集めたフリーコンサート。7月は20日に行われ、その日は人類が初めて月面に降り立った日でもあった。
取材>>続きを読む
名前を得た妻、流れ続ける声、走り続ける赤い車、悼みの煙草、演じるということ、物語るということ、伝えるということ、生きるということ。
原作でほんの数行描かれていただけの場面やプロットを膨らませ入れ替える>>続きを読む
公開される前からなぜスパイク・リーなのかと疑問に思っていた。まあ、ぼくの貧しい頭であれこれ考えるよりも観れば自ずと明らかになるだろう。そんな甘い考えは幕開けから一蹴された。脳(の模型)を手にしたバーン>>続きを読む
「本」とは紙の束の一方の端を綴じて装丁を施したものであり、紙には文字や図版などが印刷されていて、その内容によって様々にジャンル分けされる。
そうであるならば、オブジェとしての本それそのものは容れ物に過>>続きを読む
いったいどこから話せばいいのだろうか。少なくとも今後、電車に乗ることを「電車に揺られる」と言うだろうし、絡まったイヤホンやジャック・パーセルを見ただけで切なくなるだろうし、マーガレットを見たら有村架純>>続きを読む
「会見は政府のためでもメディアのためでもなく、やはり国民の知る権利に応えるためにあるものと思いますが、長官はですね、今のご発言を踏まえても、この会見はいったいなんのための場だと思ってらっ>>続きを読む
渋谷のアニエスベーでゴダールの古いポスター展を見た次の日、神保町でアニエス・ヴァルダの『落穂拾い』を観た。そして漸く落穂拾いの意味を知った。
ヴァルダがカメラを向けた人々には“落穂拾い”をするそれぞれ>>続きを読む
『若草物語』はこれまでオルコットの小説はおろかハウス食品世界名作劇場のアニメ版すら観てこなかった。どこかで女の子のものだと決めつけていたのだと思う。それが間違いだったということに恥ずかしながらようやく>>続きを読む
季節は秋。映画は3章から成り、4人の女性がそれぞれの理由からイサドラ・ダンカンの「Mother」を踊る。セリフはほとんどない。ときおりスクリャービンのエチュードが繰り返し流れる。役者はその身体性をもっ>>続きを読む
驚いたのは、ニューヨークでは現在も3人に1人がインターネットにアクセスできない環境にあるということ。あらゆる情報がインターネットで手に入る現在、それは格差の拡大を意味する。実際にそうした環境にあるのは>>続きを読む
スパイク・リーが映画を撮り続けている限りアメリカは、世界は、何も変わっていない。そのことを確認するためにわざわざ映画館に足を運びお金を払ってスクリーンを眺めるわけだけれど、映し出されていたのはスパイク>>続きを読む
「人は喜劇から逃れられない」優れたドキュメンタリーはときにフィクションを超えて物語る。観劇後に誰もが幸せになれるなんてあり得ないと思っていたけれど。
男の言葉は悲しいほどに無力で、いくら並べてみても真実には辿り着けない。それにひきかえ女の表情と眼差しがおそろしく雄弁なのは、言葉なんてまるで信用していないから。足音だけが耳に残る。
地下鉄が地上に姿を現しクネクネと高架の上を走る、小綺麗になる前のブルックリン。煙草屋で交わされる立ち話、吐き出される煙草の煙、連鎖していく小さな奇跡。
煙草屋の雇われ店長のオーギー役は最初トム・ウェイ>>続きを読む
『ル・アーヴルの靴みがき』に続くアキ・カウリスマキの〈港町三部作〉改め〈難民三部作〉の2作目にあたる『希望のかなた』。
ユーモア、歌(どれも歌詞が最高、「竹田の子守唄」も使われていた)、タバコの煙、そ>>続きを読む
コードが振られただけのシンプルな譜面を見て、音楽に命を吹き込んでいくスタジオミュージシャンたち。クレジットがなくたって、レコードに針を落とせば聴こえてくる名フレーズの数々。「音楽ってものは紙の上にある>>続きを読む
昼に銀座を歩いていたらニューヨークの街を、できればドキュメンタリーで見たくなって前情報もなくタイトルだけであたりをつけてイメージフォーラムに行ってきた。
映画にはジョエル・マイロウィッツ、エリオット・>>続きを読む
まさか泣くとは思わなかった。情報量が多いと聞いていたので前情報たっぷり詰め込んで行ったのだけれど、始まった途端に全部忘れて震えながら観た。かなり入り込んでいたはず。そして東京が火の海になるシーンで涙腺>>続きを読む
不運も重なったかもしれない。でも震災は天災だけれど原発は人災だ。いずれにしても何か起こればなす術がない。そういう意味では、ゴジラよりもよっぽど恐ろしいものと共存しているのだ。そして「仕事に命をかける」>>続きを読む
錚々たる10人の映画監督たちがトリュフォーについて、映画について、少年のように語る。そしてヒッチコックとトリュフォーが会話する肉声。
60年代の台北を舞台にした青春の瑞々しさ。光と闇、徹底的に美しい構図、説明がとことん省かれ、散りばめられたメタファー。4時間があっという間に過ぎ、一方でアタマには心地好い疲労感。スクリーンで味わう映画>>続きを読む
ロバート・クレイマーとアメリカのハイウェイ、ルート1を巡る255分間の旅。
例えばもう1人のロバート、写真家のロバート・フランクの写したアメリカが第二次大戦後の白人中流階級にとって安定と繁栄の1950>>続きを読む
マイク・ミルズが登場人物たちに語らせるパンクに根差した言葉は、ときに相手を傷つけることも辞さないのにあたたかい。
そして誰ひとり分かったふりをしない。分からなくてもまずは受け入れ、分かろうとしてもがい>>続きを読む