赤毛のアンの37の情報・感想・評価

エピソード37
十五歳の春
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あらすじ
アンは十五歳の春を迎えていた。すっかり成長し、真剣なまなざしと落ち着いた物腰のひとりの娘になっていたのだ。だが、マリラは成長したアンを見て、小さかった頃のアンを思い出し寂しさを感じていた・・・。
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あいのべる

あいのべる

鑑賞日 2025/7月前半 29~37話まで鑑賞 成長というのは、喜ぶべきことであると同時に、ある意味においてとても残酷なことであるのかもしれない。 その人たらしめる性格や気質を包括した精神は、経験が積み重なって段階的に成熟していくもののように思えるが、実のところその精神は経験の度に抜け変わっているだけのものだったのかもしれない。 大袈裟なことを言わなくなったのも、凛々しくおしとやかになったのも、その対局にあったはずのなにかが失われてしまったということであって、きっとそれは二度ともとの姿に戻ることはないのである。 未熟というのは、言うなれば純潔であったということ。 大人になるにつれて多くの人はその部分が失われて、なんだかつまらないような、ありふれたような人間になってしまったのだと落胆せざるをえない。 それは自分も含めて、自分が大切にしたいと想った人も含めて、その他環境の中で関わらなければならない周りの人たちも含めてのこと。 勿論悪いことばかりではないのは知っている。 それでも時間のもたらす儚さというのは、僕らの心を成長への歓びと、果てしない喪失感との間に締め付けて放してはくれない。 これは教育というスケールに収まるものでもないと思う。 例えば自分が心底好きになってしまった人がいたとして、その人の純潔であった子供時代を知られないことに絶望してしまうことだってある。経験を経て抜け変わる段階において、その橋渡し役が自分であったなら、どれだけ良かったのだろうかと。 一種の、独占欲と似たようなものなのかもしれない。 子へと依存し、自立を阻もうとする親。不健全な経験をさせまいと躍起になる親。変な友達を作らせないように言い聞かせる親。 よく聞く話だろう。 けれど本当にその人のことを想うなら。やっぱり子の思うがままに、自分の大切にしたいと思った人の思うがままに。 手放して、自分は干渉しないのだという覚悟を持たなければならないのだろう。
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ベンアミ

ベンアミ

アンが大人になっていく… オープニングで、アンが馬車を自分で走らせてるところに少しグッと来ていましたが、とうとう現実になりつつある
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蒼空

蒼空

面倒ばかりかけていたアンがどんどん大人になって、見た目も発声も違う。 声優の技量も、声の演出を手がけた高畑監督もすごい。 子供が大人になるのは嬉しさと共に寂しさがある。 冒頭からマリラと泣いてしまった。
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Clary

Clary

このコメントはネタバレを含みます

すっかり身体も心も成長したアン。 マリラの、どこか感じる寂しさは分かる気がする..
大きくなったねえアン
ゆず塩

ゆず塩

このコメントはネタバレを含みます

37話 :『十五歳の春』(十五歳になったアンの成長に何かを失った寂しさと悲しさを感じるマリラ。ジョセフィンおばさんをお茶に招待する。) 【受験が三ヶ月後に迫ってきている。背が伸び十五歳になったアンに改めて成長を感じるマリラ。昔を思い出して涙を流す。アンの部屋もすっかり女の子らしくなっている。マリラはアンに、おしゃべりがすっかり減ったと話す。心境の変化を話すアン。 列車が開通してジョセフィン・バリーがやって来る。ジョセフィンをお茶に招待するマリラとアン。ジョセフィンはアンの試験中、自分の家に来れば良いと声をかけてくれる。喜ぶアンは、試験に向けてより気を引きしめた。】 〈面白いポイント〉 ・マリラがアンの成長に感傷の思いを感じるのはここが初めてか? ここ何話かアンがどんどん成長してて、周りがどう感じているのかわからなくなってしまう。 ・アンがどんな気持なのか話すのは良いな。おしゃべりしたく無くなった。胸の中にしまうようになった。 アン自身も大人になるのは自分が思っていたものとは別のようだ。 ・回想シーンが赤毛のアンは多いけど、アンの成長にフォーカスを当ててるからなのかな? 見た目が変化してて面白いけど。 ただちょっと頻度が多いから、もっと回想入れる時は絞った方が良いのでは、と思ったりもする。 まぁ基本、良い時に回想するんですが。 〈その他〉 そう言えばアンのそばかすがすっかり無くなってる。 成長具合が半端ないよ。 ジョセフィンおばさんから見てもきっとアンの印象って変わってるんだろうな。って勝手に思ってる。それは良い方に変わってるのだろうか? と言うか、ジョセフィンおばさん、性格良すぎでは?もっと偏屈なのかと。