∀ガンダムの50の情報・感想・評価

エピソード50
黄金の秋
拍手:12回
あらすじ
2機のターンタイプをディアナが追っていると知ったハリーは、ソレイユ以下の艦隊にギンガナム艦隊の制圧を命じ、戦場に向かわないようにしたが、ディアナはそれでもロスト・マウンテンに向かうよう指示する。フィル少佐は、反逆罪に問われても女王を守るためと言って船を動かさなかった。  コレンもロランの加勢をするためにソシエたちの協力を得て、カプルを遠くまで飛ばす。コレンは、最後にソシエたちの身を案じてブルーノたちに彼女等を収容することを命令する。 キエルの戦艦ホエールズもロスト・マウンテンに向かうが、ひとり、リリは、墜落寸前のグエンの宇宙船ウィルゲムを追っていた。 ギンガナムは、人間は戦いを忘れることなどできはしない、だからターンXで全てを破壊し、新しい時代を始めるとロランを挑発する。 メリーベルも最後の戦いに加わろうとするが、コレンのカプルに撃破されてしまう。そしてターンXにも飛び掛るが、圧倒的なパワーにかなわずコレンカプルごと破壊されてしまう。 ソレイユのディアナは月光蝶の被害を少しでも減らすため、バリアーを張りつつ戦場へ近づく。 同じ頃、不時着したウィルゲムの甲板にグエンが佇んでいた。追いついたリリは、メリーベルが乱入して気絶するのと、逃げ出したはずのミハエル達の飛行船が風に流されて近づくのを認めて、グエンに「アメリアは自分が治める」と告げる。 戦場で、ギンガナムはディアナに遠ざけられたことで彼女を否定するようになった心情を吐き出し、戦いを楽しむ。これに対してロランは捨て身でターンXの攻撃を浴び、∀ガンダムごとビーム・サーベルで突き刺し2機の動きを止める。コックピットから逃れたギンガナムとロランは生身で斬り合うが、月光蝶の糸のようなものにギンガナムは絡まれて倒れた。 ソシエがフラットでロランを救出した直後、2機のターンタイプは月光蝶の光に包まれて繭玉になり、やがて、小さなマウンテン・サイクルに変化した。 戦争終結から半年ほど経った頃。月と地球間の定期便が開通する。その宇宙船“ローラ号”にはキエルとハリーが乗り込む。そして、金色の落ち葉が降る湖畔のログハウスに隠棲したディアナの傍には、ロランの姿があった。
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夏藤涼太

夏藤涼太

名作ということは聞いていたものの、やはりそのテーマ性故に、他の富野ガンダムを全部見てからじゃないとな…それにどうせならテレビ版で見たいしな…と、ここまで後回しになってしまったが…いやはや評判に劣らぬ名作でした。 何が凄いって、もうこれまでのガンダムシリーズを踏まえると、もうエンタメ――ロボットアニメじゃないのよ。 ガンダム――「戦争」というテーマとずっと真剣に向き合ってきた、富野由悠季という人間の苦闘を記録した「ドキュメンタリーフィルム」なのよ。 富野由悠季が1977年の『無敵超人ザンボット3』から巨大ロボット――戦争アニメを20年間作り続けた末に気づいたのは 『戦争を始め、文明を破壊し、自然――地球を人の住めない環境に変えてしまうのは、いつだって男性(原理)だ』 というロジックだ。フェミニズム的思想とも言える。 リアル20年にも及んだ戦争だらけの歴史――ガンダムの世界――を終わらせる唯一の手段は、『女性原理』にあると(ずっと戦争を終わらせようと戦い続けるもずっと終わらせられなかったガンダムの主人公=富野由悠季は)気づいたのだ。 シリーズを横断する(それこそ今のジークアクスがやっていたような)メタ的な考察を煽る設定・演出に、子供向けアニメなのに有色人種だらけとか、ベトナム系の同性愛者がアメリカのイギリス領の領主とか、シオニズム戦争とか(しかもアメリカがアラブ側になる)、「アメリアは私がおさめますわ。スカートを履いたままでね」というラスト等々、時代の先取りが凄いと言われる『ターンエーガンダム』だが…この先見性は、富野由悠季がこの『女性原理』に気づいたからだと思われる。 (この気づきこそが、いわゆる〝ターンエーの癒やし〟なのだろう。『Vガンダム』で(色んな意味での)戦争と向き合いすぎた結果、富野由悠季は壊れてしまったのだ…) 主人公が中世的(企画書ではなんと両性具有)で、しかもポリアモリー的嗜好まであるという、とてもロボットアニメの主人公とは思えないキャラクター造形なのも、この『女性原理』に乗っ取って作られていると気づけば、そこまで違和感はない。 ロランはこれまでのガンダム主人公と違って、父と対決しないし、母を克服しないし、女を失いもしない。そして何より、成長しない。いや正確には、〝近代国民国家の近代市民(=男性)としての成長〟をしない。これは驚くべき主人公像である。 しかし、富野由悠季はついに、そういった近代男性的成長――家父長制的男性原理から、ロボットアニメの主人公を解き放ったのだ。 その極めつけが、「スカートで産業革命を起こすには、まだ時間がかかります」の一連のやりとりだ。 『∀ガンダム』は富野由悠季のフェミニズム的思想が中核の一つとなっている物語だが、最終的には月と地球は2人の女王に導かれる形となった……とも言える。 勿論、女は女として望まれて支配者となる形で。 現代でこそ、家父長制の否定や、女性の社会進出も進んでいるが… 「アメリアは私がおさめますわ。スカートを履いたままでね」と言ってそれを達成して見せたリリ嬢に関しては、もはや時代はまだ追いつけていない。 今、国や大きな党のリーダーになれる女性は、いわゆる〝名誉男性〟でなくてはならないからだ。 だからこそ、ターンエーガンダムのラスボス2人は、ギンガナムという脳筋の武人と、最終的に髭まで生やして〝いかにもなダンディ〟になって世界一周みたいな男のロマンを成し遂げんとした男性的野心家のグエンという、男性原理の塊のような人物だったのだ。 ギンガナムはともかく、グエンは別に悪人ではない。グエンが領内の産業革命を推し進めていなければ、ディアナ・カウンターの蛮行で地球はボロボロにされていた可能性もある。民とは立場を問わず紳士的に接しており(後に立場が入れ替わるリリはむしろ差別的に扱っていた)、先見性だけでなく統治のバランス感覚も優れていたと思われる。 しかし、彼は敗北した。それは、彼が男性原理に支配された人物だったからだ。戦争を終わらせるには、彼のような人物は政治から遠ざける必要があったのだ。 なお、小説作品では幼い頃に祖父から「女」として扱われて性癖が歪んだという経歴があるし、グエン(グウェン)は英語の女性名なので、その辺もねじれがあった想定だったのかもしれない。 ちなみに、ロランのポリアモリー的思考については、『ターンエーの癒し』にて 「ロランは、キエルさんに憧れを感じていたし、ディアナ様を尊敬もしていた。そして、ソシエを愛おしくおもっていた。そして、ソシエにはそれがわかったから、ロランをディアナ様にあげたのだ。そのディアナ様は、ロランとソシエを十分に知っていても、最後の自分を見取ることをロランに頼んだ。許したのではない。頼んだのだ。なぜなんだろう? それは、永遠の疑問ではない。簡単な理由だ。ディアナの本当の初恋の相手が、きっとロランに似た少年だったからだろう。人間などというものは、そんなものなのだろうとおもう。それは、つまらないことなのだろうか?そうではないと伝えたいのが、『∀』という物語なのだ。」 と富野由悠季は語っている。 こうした富野由悠季のフェミニズム的思想は、ターンエーガンダムでいきなり完成したのではない。 まずはファーストやZ・ZZにおけるニュータイプ論において、「わかりあうこと」としての戦争の終結と平和の実現を目指そうとしたが…結局は失敗した。 その原因は恐らくは、ZZあたりから顕著になる〝父権社会・男性原理による技術文明の進展〟だ。男性原理では戦争を回避することはできず、ニュータイプという希望もまた、科学技術によって制御され、戦争の道具にされたからだ。そんな〝父権社会による技術文明の進展〟は『閃光のハサウェイ』でピークを迎え、宇宙世紀における技術文明の頂点として、以降は中世、あるいは古代へと時代は逆行していき、宇宙世紀は黄昏の時代を迎えることになる。 その結果、『F91』や『Vガンダム』では女性原理の復活が見られるようになった。この辺りから〝ニュータイプ論〟は衰退し、それに代わって富野由悠季が描くテーマとして〝フェミニズム論〟が表に現れるようになってくる。 そして、(地球どころか宇宙や銀河系までぶっ壊した果ての果てに)『ターンエーガンダム』においてついに、富野由悠季は戦争を終わらせ、平和を実現することに成功したのだ。それは、〝地球と月(宇宙)の双方を、女性が(いわゆる名誉男性にはならず)女性のままで治める〟という母権社会・女性原理の達成なのだ。 だからこそ、前述のような「ドキュメンタリーフィルム」としての『ターンエーガンダム』は、ここまでの富野ガンダムシリーズを全部見ていないと掴めない。 (さらに言うと、この『ターンエーガンダム』における気づき(富野由悠季的フェミニズム思想)がわかっていれば、次作の『Gのレコンギスタ』も、なぜああなったかがわかる) もちろん、『ターンエーガンダム』の中核を成す〝黒歴史〟の衝撃についても、やっぱりここまでのガンダムを見ていないと味わいはなかろう。 黒歴史という概念にアナザーガンダムも含まれると知った時の衝撃さ足るや、「やっぱり自分以外の人間にガンダムが作られるのはイヤだったんだな…」と最初は思ったのだが…ここには間違いなく、〝愛〟もあったんだなと、今回ちゃんと見ていて気づいた。 確かにこの〝黒歴史〟という設定は、(未来を含む)富野由悠季以外の人間によるアナザーガンダムをすべて「黒歴史」と否定して、富野由悠季自身による『ターンエーガンダム』の前座にしてしまうというとんでもないブラックな仕掛けなのだが… ある意味では、「これはガンダムじゃない」的な論争がされていたアナザーガンダムを全部〝ガンダム〟だと受け入れて、認めてしまう、アナザーガンダムへの〝愛〟にあふれた仕掛けでもあるのだ。 (特に、いちばん「ガンダムじゃない」と言われた『Gガンダム』の設定に関しては明確にターンエーガンダムは受け継いでいるような描写が各所にある) …というか、富野由悠季による宇宙世紀そのものをメインの黒歴史に置いてるしね。アナザーガンダム以前に、富野由悠季、どんだけ宇宙世紀オタクが嫌いなんだよ、って話である。しかも次作の『Gのレコンギスタ』ではもっと直球に「しょせん懐古趣味の歴史オタク」と宇宙世紀原理主義のガノタを叩いている。じーさんのくせに元気すぎるよ、マジで… …と、ここまで『ターンエーガンダム』のテーマ性や企画性については称賛してきたが、本作の惜しい所は、なんといっても敵キャラの弱さだろう。 雑に手のひら返しして処理されたフィル、動機が脳筋すぎるしロラン以前にハリーに手こずっててラスボス感の薄いギンガナム、そしてこちらも同じく終始ロランサイドに圧倒されっぱなしだったアグリッパなどなど……どうもパッとしない。 ボス格じゃないポゥや、最終的な悪役ボスとなるグエンはよかったけどね… シャアやハマーン、カテジナ、マスターアジアのような魅力的な敵キャラがいれば…物語ももっと引き締まったし、『ターンエーガンダム』は、今のような地味なポジションに置かれることはなかったのではないか? …とはいえ、エピローグのあの圧倒的な美しさを見てしまえば…シナリオがどうとか文句を言えなくなってしまうのだから、富野由悠季の映像作家としての天才ぶりにはやっぱり感服せざるを得ない。 「富野アニメの最終話(エピローグ)は至高」という原則は、今作も外さなかった。 …ところで。 月光蝶という光る羽根を生やすターンエーガンダムの意匠は、今見るとどうしてもエヴァに見えるんだけど…そもそもエヴァの羽根はVガンダムの翼のパロディなんだよな。 そして世界観的な話をすると、ターンエーガンダムとは「巨神兵」…つまり、『風の谷のナウシカ』から影響を受けてるんじゃないかと。 月の民が人工冬眠している月の宮殿は原作『ナウシカ』の墓所のカプセルと同じだし、旧人類が最終戦争の果てに文明を失って、その技術を一部の人物が管理・封印してる――黒歴史の――設定とか、どうしてもオーバーラップしてしまう。 またターンエーガンダムの光の羽――月光蝶――ナノマシンの機能は、文明を砂に返すこと。それは(月光蝶で分解された物質のカス――黒い粉のおかげで不毛の地に作物が育つ様になったエピソードから)清浄な自然に返すということでもあり、ナウシカの腐海と同じ。 で、巨神兵にも光の羽根があるし、宮崎駿は富野由悠季にとって師匠の一人だし、またエヴァの元ネタの一つでもある。だから、ターンエーガンダムとエヴァが似ているのは必然なのだ。 (そういう意味ではGのレコンギスタも科学技術を戦争の抑止のために封印しており、これもナウシカ的な世界観だ) では、単純にターンエーガンダムが『風の谷のナウシカ』のオマージュ作品なのかというと、そんなことはない。 それは、時代が全然違うからだ。 ナウシカの原作は1982年に始まっていて、この時はまだ人口の半分くらいが戦前・戦中生まれだったが、ターンエーガンダムが放送された1999年は、その世代は3割にまで減っている。 戦争の象徴であった昭和天皇も亡くなり、国外でも冷戦が終結し、あと1年で21世紀ということもあり…まさに、「戦争が忘れられている――戦争の記憶が黒歴史になっている」時代だったのだ。 そして、戦争の恐怖を知らなければ、人はまた、戦争を始めてしまうもの。核兵器の威力を無邪気に喜んだギャバンやジョン、そして戦乱の時代を男性的社会と結びつけてその到来を喜んだギンガナムなんかのように。 だからこそ、富野由悠季はこの黒歴史という世界観のガンダムを始めたのではないだろうか? しかし、その傾向は令和の今でこそ苛烈の一歩をたどっており… 戦争体験者はほとんど亡くなり、テレビ局は利益絶対主義やらクレーム対策やらで、炎上しやすいくせに数字の取れない戦争特集はぜんぜん放送しなくなってしまった。 その結果、2020年頃から、新たな戦争の火種が各地で起こり、日本やアメリカなどの先進国でも、戦争に繋がる排外主義や保守主義が台頭しているわけで… まさに、今の人類は、「(第二次世界大戦という)黒歴史を繰り返すのか、闘争本能に再び火がついてしまうのか」というターンエーガンダムそのものな時代を迎えているわけだ。 いやはや、富野由悠季、本当毎度毎度、時代を先取りしすぎている……
さみわん

さみわん

完成した最終話を観賞時の事。 月の繭の楽曲が流れた時。 富野監督の瞳から涙が流れ落ちた。 理由については、各他のガンダム作品、そしてこのターンエーの長い物語を観て来た人には言わずともわかるだろう。 ガンダムという作品に出会えて良かった。
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ニカイドウ

ニカイドウ

コレンの赤カプルとソシエ&メシェーのカプルを接続。魔神英雄伝ワタルのガッタイダーみたい。 最終回は、ホンマにジブリみたいやった。 俺は谷村新司派やったんやけど、これ観たら「月の繭」を好きになるわ。 各々の解釈エンドのはずやったのに、富野がロランに喋らせやがったな。彼は自由ですな。
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KEiGO

KEiGO

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ターンA vs ターンX思ったほどのベストバウトではなかったなー。ナノマシンエンドはややご都合主義では。 グエンは期待した程の男ではなかったな、残念。 くわぁーそこが実ったか!!! ラストの畳み掛けは凄かった。月の繭は名曲だな。 ありがとう、ターンエー。
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シャスイ

シャスイ

最終決戦、ロランが猛々しい。
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PANDADA

PANDADA

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ハリーがポゥやソレイユに、これ以上ターンAとターンXのいるロストマウンテンに近づかないよう指示します。 ディアナはソレイユをロストマウンテンに向けようとしますが、ミランとフィルが止めます。 この人達は以前とガラッと変わっちゃいましたね。ディアナが一番好戦的で、フィルやミランがかなり慎重かつ忠義に溢れてます。 コレンはメシェーとソシエのカプルを自分の専用機に繋いで持ってちゃいますね。 「戦士たる者の生き様を後世に伝えい!女達よ!」と言ってますが、それってまんま「哀・戦士」(笑)。 コレンに指示されたヤコップとブルーノはフラン達とホエールズへ向かいます。 リリはホエールズに通信を入れますが、なぜか最大出力。ホエールズ艦長は無線封鎖を支持しますが、そこでウィルゲムの墜落を目撃。 ウィルゲムの中ではグエンが頑張って、工場までなんとか飛行を続けるように指示します。こんな状況下でも工場に行き、モビルスーツを生産しながら主導権奪取を狙う気ですが、暴れまくるギンガナムがそれを許すわけないだろう現実から逃避してます。 ミハエル大佐にもそこは見透かされていて、ついに愛想を尽かされて、ウィルゲムは墜落、グエンの部隊は解散となります。 ロランとギンガナムは一騎打ちをしていますが、それぞれ月光蝶システムが発動してしまい、うごけなくなります。 そこにメリーベルが乱入したりして、さらにコレンが参戦して、メリーベル機を撃破、ターンXにも襲いかかりますが、返り討ちにあって爆砕。 コレン、最期はカッコよかったですね。 赤いツノ付きカプル乗ってましたが、こういことするので、「コレンの正体=シャア・アズナブル説」が流れたりもしました。 部隊に脱走されているグエンの前にリリが現れます。リリもグエンに愛想を尽かしてますね。 リリは一番キャラ変してますね、頼もしいアメリアのリーダーです。 グエンは墜落するメリーベルを助け起こして、飛行船につかまってロストマウンテンを目指します。 ソレイユは月光蝶システムの拡散を全力で防ごうとします。 そんな中、ターンAとターンXは相打ちで機能停止。ロランとギンガナムは刀で一騎打ち。 確かに、ロランは前にもアデスカで一騎打ちやってますね。ギンガナムの刀を叩き折ってます。その刹那、月光蝶システムのナノマシンに包まれたターンシリーズ両機からでる繭糸状のものにギンガナムは絡め取られて、ロランはなんとか逃げおおせます。 これで、戦争はおしまいですね。 ここからラスト7分弱は構図、セリフ、演出、すべてが神がかっています。 劇場版でも感動しましたが、TV本編を全部観るとさらに理解が深まりますね。 以前、Filmarksの方に劇場版の感想を書きました。それと内容少しかぶりますが、もう一度。 キエルがディアナに「ですから、今度は2人だけでね、」と話しかけるシーン。 隣のソシエだけが完全に外されたカタチ。 直後、席を移したソシエがロランに話しかけるも、ロランの気の無い返事。 ソシエの孤独が切ないです。 雪の中ソシエを抱きしめ唇を重ねるロラン。 車内のディアナは横を向き見ないふり。 キスの後涙ぐむソシエを置いて去るロランとディアナの車。 カメラはまわり、まるで舞台。重なる車のライトがスポットライトのよう。 でもソシエはそのライトからは外れている構図。 ここでもソシエの孤独が強調されてます。 劇場版ではどこの山小屋と思ってましたが、これ、ウィル・ゲイムの屋敷ですね。劇場版だとウィル・ゲイムのエピソードは丸々省かれているので、本編見るまで分かりませんでした。 そこで、2人暮らし始めるディアナとロラン。 でも、ロランが座るのはディアナのはす向かい。 隣でも向かいでもなく、一番距離のあるはす向かい。ディアナの左薬指に光る指環はウィル・ゲイムからのプレゼントですね。想い出に生きるディアナとそれに付き合うロラン。 季節は過ぎ、半袖になっていることからも季節は多分夏。ロランが忘れていったブリキの金魚「メリー」を叫びながら思い出の川に捨てに行くソシエ。振り切るまでこんなに時間がかかり、やっと振り切ったのに、捨てた後に号泣するソシエ。 そしてまた冬。それまで冷凍睡眠を繰り返していたディアナの衰弱は激しく歩行に杖が必要に。 2人での食事。 ディアナの感想、「おいしかったわね。」 まるで今までの生活すべてを振り返るようなセリフ。 そしてラスト。 「ディアナ様、また明日」といいドアを閉めるロラン。 すでに目を瞑り横になっているディアナ。 ここで終了。 たった7分弱に上記のことだけでなく、その他の登場人物たちの「その後」もすべて網羅・凝縮し、透明感のある奥井亜紀の唄う「月の繭」で包み込む。 とても叙情的で、さらに「この後」に想像を広げさせてくれてる素晴らしいラストでした。メリーベルと船で旅に出るグエンとか、想像力で、胸を熱くしてくれます。 やはりこのラストシーンがあるからこそ、名作なんだろうなぁとも思います。 ストーリー全般的にはそれまでの富野監督のいわゆる「宇宙世紀」シリーズとは全然雰囲気も違うのですが、セリフ回しは富野節だし、ラストの閉め方なんてまさしく富野作品ですよね。 やっぱり名作でした。 機会があればまた全話見直し、さらに理解を深めて楽しみたいなぁと思います。 ガンダムファンでまだ未観の方は是非ご覧になって下さい。予想以上に面白いですよ。
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えりこ

えりこ

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その股ぐらにロケットパーンチ!からのコレン軍曹の散り際に涙...。 アメリアは私がスカートのまま治めますわ。リリ嬢まじで尊い。
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