いの

ロリエ・ゴドローと、あの夜のことのいののレビュー・感想・評価

5.0


それでもー



観終わったあと、わたしの心全部が〝それでも〟のそのあとに続く想いでいっぱいになってしまった。もうそれだけでじゅうぶんだ。〝それでも〟のそのあとに続くものを確かに私自分のものとしても受け取ることができたから、なんかもうそれだけでじゅうぶん。もうそれをうまく言葉にできなくてもいいやってなる。


母の臨終、その日はすぐにやってくる。兄妹4人。ある者は近くに住んでいて、ある者は遠くから帰ってくる。ある者はちょうど施設を出たところ。30年前の出来事と15年前のコトと現在を行ったり来たりしながら、物語は進んでいく。


近親者を悼むために集まった場や時というのは、他では味わうことのない特別な空間&時間となる。内省的になるし、ここに至るまでに共有した出来事を否応なく振り返ることになる。それをドランが描くというのだから、濃厚で濃密で息苦しいのはもう承知の上です、はい。家族を襲った強烈な出来事。自分に正直でありたい気持ちと 家族を想う気持ちとの間で、心は引き裂かれ、自分も他者も傷つけ、傷つけたことで自分も傷つき、もうどうしていいのかわからないのに立ち続けようともがき苦しむ。壊れやすいけどなんとか壊れないように、でも自分が壊れないようにするために誰かを壊してしまったのかもしれないし。重ねようとしたその手は何度も振りほどかれる。それでも。その先にあるのは、〝それでも〟なんだと思う。


「たかが世界の終わり」とか「マティアス&マキシム」のその先にドランがここに至ったというのはなんだか深く納得する。このドラマも、何年かにいちどきっとみかえしていくことになるのだと思う。そのとき自分がどう感じるかも楽しみだけど、それよりも今の感情を自分のなかに刻み込んでいたい。


私はちょうど映画『SHE SAID』の原作を読了したところで、あの映画の〝その後〟に集まった被害者たちの会話のなかでの一言に、今わたしはとても心を揺さぶられているところです。その内容とこの映画とは直接的には何の繋がりもないのだけれど、でも心揺さぶられたその言葉は、この映画と表層的には似てないけれど深層的にはおんなじじゃないかとも思うので、自分のためにメモを記させてください。

「わたしたちはいまも笑っている。足を一歩前に踏み出したからといってだれも死んでなんかいない。わたしたちは炎の中を歩いたけど、みんなその向こう側にたどり着いた」p397


炎の中を歩いたけど、みんなその向こう側にたどり着いた。それはわたしにとっては〝それでも〟のその先を見つけたのと同じこと






〈追記〉

【再鑑賞】2023年4月下旬

結末を知ってから観ているわけで。冒頭のヘイトにまつわる事件が低通奏音となっていたことをあらためて感じる。登場人物たちの悲しさや苦しさや愛おしさや、そういうのが全部迫ってきた。家族であるからこその苦しさや、〝それでも〟 も。 初鑑賞のときには気づけなかったことも沢山あって、再鑑賞できて本当に良かった。
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