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天城越えのotomisanのレビュー・感想・評価

天城越え(1978年製作のドラマ)
4.8
 生きるためどこのだれであるかを忘れたことにした流れ者が十二の子どもに殺される。殺される事には覚えもあるし、初めてではない。とうとう死に追いつかれてみれば、あの日の自分のような子供の、恋の鞘当とは。あの時も父親は後添いを取って自分を捨てた。逃げに逃げて生きて来たのをこれで終わりと清々するのではない、馬鹿な最後をと可笑しいわけではさらさらないが、最期は鞘当でまた負けるのか。
 家業を嫌って下田を飛び出してみれば、行く宛は遠く最初の峠で気弱になった家出の子が徒な年増にのぼせてたどる戻り道。色恋なんて御大層な話ではあるまいが芽生えたものが摘まれれば恨みは一人前、まして汚した相手が不逞の流れ者なら。
 乳飲み子を抱えての身売り商売に情のかけらも呉れてもらえない身の上を足抜けで晴らせば、出会うのは家出帰りの子どもに異様の流れ者。何でこれが商売相手になると踏んだか。真っ当な金払いの男と思えたか。大層な廓でお客で御在と人を見下しもて遊ぶ連中を相手の世過ぎを捨てて、これも何かを信じた内なのか?
 根無し草な三人が悪い絡みで一緒になって、たがいを碌に知らぬまま一人は死んで、一人は大島流し、嫌疑を逃れてただ一人正道に戻った子供の半世紀後、警察の資料に触れてその時の全てが今、自分ただ一人、知れたろうか。殺した流れ者が調書を通じて、女の証言を通じて、彼の女が足抜けした経緯と乳飲み子を抱えてあれに身を落した事情も。その女が自分を犯人と承知で口を噤んでいただろう事も確信しただろうか。殺した男の詳らかならぬ人生もあおりを食らって縛りをまた受ける女も遠くの事になったものがよみがえる。大島からそれからは二度と逢う事もなく。
 ただ一人、犯人の事情だけが知れなかったこの事件の迷宮の奥が目の前に居って、何かを告げてくれようとは思われまいが、せめて思い出して呉れよと、死んだ者とどう対面し何を耳にしたか。それからどう生きて来たか。刑事の生き字引にも、いや、なればこそ。詳らかでない三人の未解決な事件なればこそ知りたいところだろう。そして、死亡証明と伝聞だけの男と証言と出生記録だけの女もまた、元少年が何かを遺して始めて彼らが生きていたことが明かされ受肉される。死ぬ経緯も、流され消えて行く経緯も、最後の一人が今こうしてある事も。それでこそ生きてこれあるという事だろう。
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