ちょっと前にマツコ・デラックスがアナウンサーという人種についてこんなようなことを言っていた。
「誰よりも何よりもテレビに出たいという思いの強い人。俳優や歌手よりもずっとテレビというものへの執着が強い人」
全面的に同意だ。
そして出続けるためにはひたすら地雷を踏まぬよう、事なかれ主義を徹底する必要がある。
罰ゲームみたいだな。
これが就活勝者のトップに君臨するんだから、日本の現代の生き難さは如何ほどのものか。
見ず知らずの他人から反感を買い粘着され炎上しないよう、そしてすべてを経済最優先に考えながらも、そんなことお首にも出さず、人道的な思考のもと性善説に則って発言する。
すべては隠蔽される。カネのために。
善意は見返りとセットだ。
右の頬を打たれたら、診断書と請求書で左右の頬を打つのだ。
すべてはカネのために。
気づいてるはずだ。
もう誰も止められないところまで来てしまった。
再生可能なはずがない。
ユルユルと道なき斜面をくだり、諸とも滅亡だ。
どこまで遅らせることができるかなんて、考えたヤツが負けだ。駆け抜けろ!!
すべてを踏み潰し。
片手でブレーキを引きながら、もう片方の手でローギアに入れ、最大トルクでアクセルふかしまくるクルマのようなこんな社会から降りる手立ては「愛」なのか。
もう「愛」にしかすがれないのか。
だとしたら、人類ほど憐れな生き物はいない。
「愛」はすべての相手に向けられることはない。
必ず分断を生む。
わかっちゃいるが言語化するとつらい。
ここまでの覚悟を求められるだけ、まだマシか。
渡辺あやは、今後ドラマにどんな解決策を提示するのか。