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マッドゴッドのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

マッドゴッド(2021年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

 フィル・ティペットが「スターウォーズ」や「ロボコップ」、「ジュラシック・パーク」で特殊効果をやってるとは露知らずに、ただヤバイクリエイターなんだと思って鑑賞した。こんなグロテスク地獄ストップモーションアニメを作る人が、そんな王道作品に関わっているというヤバさ、反動か?王道の対極にあるのが今作なのは確かだ。今作は90年代に既に着想していたがポシャっており、クラファンで再始動し2013年に第一部が完成し、その後三部作となり、それが一本にまとまり晴れて今作が出来上がったそうだ(wikiより)。そのせいか90年代特有の娯楽を包んでた暗い雰囲気、インダストリアルロックかはたまた「セヴン」のような、ダークな世界観が見受けられる。そもそも、同じく90年代にできたカルト映画「LOVE GOD」(1997)という名前も似てるしグロ感も世界観も似ているのではと思って、自分は劇場に赴いたわけである。結果、似てたけれど、アニメーションは格段にイメージを再現する力があり、何倍もキモい世界を築き上げていた。

 冒頭、バベルの塔を築く無数の人々が見られる。そのスケール感と、無数のストップモーションによって動く人形たち(どこかブルース・ビックフォードのアニメーションぽさもある)。そこから、このバベルの塔はまさしくフィル・ティペットが今作に挑む姿勢そのものであることがわかる。雲がそれを覆い隠していくと、レビ記26章の字幕から入り、神に背くなら、大いなる天罰を与えるという内容が連なる。そして以降は、トンデモ地獄が延々と違うベクトルで次々と畳み掛けていく。ストーリーラインは散漫にもなり、スケール感もバグり出し、理性的な(それこそコンプラ的な)判断は脳死だ。途中はやや眠くなった(脳内処理が追いつかず気絶に近いか)。それでいてまさかラストあたりで、今作が「2001年宇宙の旅」のプロットを準えていたことに気がつく。だから今作は今あるこの世界の未来の姿であるというSFであり、決しておとぎ話とはされていないのだ。今作における残虐は、今ある世界の残虐の延長線上にある。単に露悪的で悪趣味なのではなく、どことなく現実における不道徳、不潔、虐殺、戦争、裏切り、奴隷、搾取などが見られる(ナチスを模した存在も見受けられる)。今作の公式ホームページではshitmenと名付けられた労働のためだけに虐げられるキャラがいるのだが、あの不条理にどこか共感を覚えてしまう。また、拘束されて頭に電極を繋がれ、ひたすらクソを垂れ流すしかない人間らしき存在と、それをこれまた皮膚を剥いだような巨人が食らうという構図に、現実社会の搾取構造を見出してしまえた(ジェームズ・アンソールが社会風刺として描いた「Doctrinal Nourishment」という絵を思い出したが、上下関係は逆なのに搾取構造が変わらないというのが今作の捻れて複雑な世界観なのだ)。またスケール感のバグには、どこに位置しようと上には上がいて下には下がいるという構図からの逃れられなさを覚える。人間は、どのサイズに位置するのだろうか。

 これらグロテスクさに付き物なエロス(エログロ)は今作には一切見受けられないというのが、教訓めいている証左なのかもしれない。あくまで教訓としての未来絵図(SF)。唯一、自慰をする人形だけがそれらしさを持っていたが、あれはクエイ兄弟のアニメーションのモチーフに似ており、目配せ的な位置だったように思う(ただ意味ありげなクローズアップを見せたり、最後のフラッシュバックでしっかり登場するので、特異な立ち位置だったのかもしれない)。逆にクエイ兄弟の作品は全てエロティシズムが潜んでいて、それ故に抑圧された夢のような雰囲気を醸しているのかもしれない。彼らのはSFではなく、夢(シュール)なのだ。
 
 ただ、全貌として今作はある意味で受精を意味しているように思える。延々下降していく主人公アサシンが、分解解体され、中の芋虫のような赤ん坊をアルケミストによって錬金され、ビッグバンを起こす(ここで世界は加速するのだが、あたかもジョジョの「メイドインヘヴン」状態だった)。地球という球体の奥へ奥へと向かう彼は精子の役割だったのではないだろうか。また、ここで「2001年宇宙の旅」よろしくスターチャイルドも登場することで、よりこの説は説得力を持つ。また、主人公がアサシンと名付けられているように、この悪しき世界をゼロ地点に戻すテロリストでもあったのかもしれない。ビッグバンの後、時計は逆戻りをして(あたかも「ねこぢる草」のあるシーンのように)全てが逆再生される。ここで今までのシーンが走馬灯のようによぎった時、謎に涙出かけた。あの”時間が戻る”という行為に自分は絶大なエモーションを感じてしまうのだ(圧倒的過去思考と未練の賜物)。メイドインヘヴンにしろねこじる草にしろ、時間が全てゼロ地点に戻って画面はブラックアウトして、聖歌のような歌が響く。まだ、自分は何か求めている、このブラックアウトした画面に。すると、画面は不意につく。そこには天上の世界が映し出され、あのアサシンを送り込んだ教祖が、また一人下界に送り込んでいるカットが映り、エンドロールに入る。あぁ、”また”だ。また悲劇は繰り返されるという絶望。アサシンは、全員おなじ姿で、天上から地上へ送られるのだが、既に何人ものアサシンたちがいた形跡が地上に残っているというのが、ここにきて伏線回収となった。彼らは繰り返し繰り返し地上に送り込まれては、同じように死んでいくのだ。そして、ブラックアウトしてる間にその悲劇を自分の目が欲していたことも明らかとなる。上昇するエンドロールに対し、我々は下降していくわけで、実は我々自身がアサシンであったのかもしれない。劇場を出て、近くの山下パークに寄って、見下ろす光景にはあの弱々しいshitmenが動いて見えた。
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