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野良犬のTnTのネタバレレビュー・内容・結末

野良犬(1949年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 「暑い日だった」故に全ては起きたと言いたげな。
「太陽のせい」と言いたげな、そんな映画だった。暑い地域こそ生物がわんさか湧くという科学的な事実が、昔教科書で読んでは不思議で仕方なかったが、今作はそうした、熱で駆動する生命の禍々しさみたいなものを体現していたように思う。そこに「銃は危険やね」というあまりにもわかりやすい道徳的教訓も添えられているので、その筋だけ掴めばサスペンスとしても消費ができる。

「暑い日だった」
そんなナレーションも束の間に冒頭は「何?拳銃を擦られた?」とさっさと展開していくのでもはやコミカル。そうして展開はあっという間に起きるが、シーンはかなり延伸させられている。たらい回しとは違うが部署を延々と訪れていったり(これは後に「生きる」の役場たらい回しにいかされる)、潜入捜査よろしく闇市を歩き回ったり、とにかく歩く。途中彼はなんで歩いていたのかとさえ思ってしまった。あれは忘却のための尺だとさえ思った。そういえばたけしの「その男、凶暴につき」もまた、歩く映画と言われていたが、あの黒澤推しなたけしだから多分に今作から影響を受けた可能性はある。これらのシーンには日本の暗部を暴こうとする黒澤イズムをビシバシ感じるのだった。


 にしてもカットが無茶苦茶多い。贅沢だしテンポ良い。しかしおそらく、必要以上にカットがある。
同じシーンにカットを積み重ねると、層となってシーンに奥行きが加わるということがわかった。段々と深淵へ。カットはつまり前の時間空間と切り離す行為であり、前のシーンとの決別なのだ。だから延々とコルトを追うシーンには、彼の目的意識さえ切り離されただの世捨て人となりかかるのが見て取れる。それと同じで、ラストの逃走劇にも現実からどんどんと乖離していく幻想感があった(これは「蜘蛛巣城」で延々と城に帰れないシーンにて再見される)。あれはどうみても天国そのものだ。そこで暴れる野獣たちの姿はウィリアム・ブレイクの「虎」の詩を思わせる。犯人はその天国の明るさに悶え苦しむのだが、これがサラッとえぐいシーンとなっている。

 野球のシーンもやたらめたらに長い。最初こそ試合映像を見るような気持ちだったが、途中、いっきに犯人検挙へのカウントダウンに変貌するのは上手かった。あの銃の持ち主は「酔いどれ天使」のあのヤクザ親分演じた山本礼三郎が演じており、実は劇中でも言及されているがかなり序盤に実は姿を現していたのだった。「サスペリアpart2」より遥か昔にやってのけている。しかも此奴も結局主犯ではないのでミスリードである。劇場のような場所での犯行というのは「知りすぎていた男」なんかにも影響あるのだろうか。

 平和な家族団らん後の次のシーンに殺人事件をもってくる。失われた命への同情を掻き立て、またさっきまでの家族がひょっとして死んだのではとミスリードもしてくる。サスペンス的な技法がかなりエンタメしてる。刑事が別行動したり、「この中に犯人がいるが誰かわからない!」みたいな基本形が詰まってるし、後世への影響計り知れず。

 音楽は対位法でもって明るく聞こえれば聞こえるほど、嫌な予感を察知してしまうように、黒澤映画によって調教されてしまった。東京ブギ、李香蘭(だっけか)の曲、「カビリアの夜」っぽい音楽に「8 1/2」でも流れてた曲なんかが聴けた。劇伴かと思ったら演奏者が横を掠めるなんていう茶目っ気まであり、今作は映画技法への拘りと遊び心が盛りだくさんである。

 「楽しいわ!」
一番現実から乖離したシーンは、ドレスに身を包んだ並木ハルミのこのシーンだったのではないか。狂喜乱舞する女性というテーマも、これまた「羅生門」やら「蜘蛛巣城」に引き継がれる。「酔いどれ天使」のレビューでも書いたが、やはりどこか女性への疑念の視線が黒澤作品にはある。今作も注視していると、出来事のトリガーが悉く女性なことに気がつく。ユサの犯行はハルミへの恋慕が原因だったし、コルトを奪ったのは女だったし、銃の引き渡しも女であった。さらに言えば、ユサにうっかり刑事の存在を仄めかしてしまうのもそうだ。また陽気な音楽が陰惨さのトリガーになるとき、その音楽をラジオから流すのも、ピアノで牧歌的な演奏をしていたのも女性だった。無骨に生きることが当時の女性像であるというリアリズムという視点の評価を抜きにしてもである。全編ファム・ファタールとしてしか描けない、ある種の畏怖からくる描かれ方が不思議に思った。

 ラストまじでかっこよすぎる。主人公である村上刑事が片手撃たれた時、「タクシードライバー」がよぎったのは気のせいか。復員したての二人を、刑事と犯人に分かつのは一体なんだったのか。天国に近い花咲く中、子供の歌声と青空と、二人の獣が横たわる対比は一生忘れられない鮮烈さであった。村上は「世の中には悪人はいない、悪い環境があるだけだ、そんな言葉がありますが」と言う。対する佐藤は「一匹の狼のために犠牲になった羊を忘れちゃいかん」。そして逆に「ユサなんか忘れるさ」と村上に説く。その言葉はその場凌ぎ的であることは観客には自明だった。あの天国で嗚咽するユサの様を観客は忘れることなどできないのだから。そして黒澤もこのテーマを再び「天国と地獄」という別の形で取り上げるのだった。

P.S.
「リーゼントスタイルって言うんですか、あのいやらしい頭をしていて」というセリフ、ウケる笑。
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