緋里阿純

プレデター:ザ・プレイの緋里阿純のレビュー・感想・評価

プレデター:ザ・プレイ(2022年製作の映画)
4.4
1719年のアメリカを舞台に、ネイティブ・アメリカンのコマンチ族の少女ナルが、人類初のプレデターと遭遇した人物として、部族を守る為に奔走する。

プレデターシリーズは『エイリアンvs.プレデター』から劇場に足を運んでいるが、続く『エイリアンズvs.プレデター(2)』含む番外編的な『vs.』シリーズはさておき、正式な続編作には、『プレデターズ』では「何か物足りない」、『ザ・プレデター』では「前半は良かったけど、後半の失速ぶりが酷い」とガッカリさせられてきた。実際、批評や興行的な不振も続いていたので、最新作が動画配信行きになるのは致し方ないと思っていた。
しかし、本作はまさに「コレを映画館で観たかったよッ‼︎」と声を大にして叫びたくなる程の傑作だった。雄大な大自然にフォーカスしたシーンも数多くあるので、出来ればIMAXシアターで鑑賞したかったと切に思う。

序盤から丁寧に伏線が張られ、中盤以降それらが見事に回収されていく確かな脚本力も魅力的だった。
過去作の要素も上手く取り入れオマージュしている(第1作の「血が出るなら殺せる」という台詞や、第2作のラストで渡された年代物の銃等)。
他にも、シリーズファンならではの緊張感が走る、沼地に足を踏み入れて窮地に陥るナルのシーン。ファンにとっては「沼地の泥で体を覆ったおかげで、プレデターを退ける事になるのか⁉︎」と見せかけて、そこではプレデターに襲われず、後に序盤で登場した体温を下げる橙色の花を使うという、今作独自の解決法を示したりと、新しい試みも成されている。

新しい試みと言えば、シリーズ初、女性がプレデターを狩るという点も、現代的なポリコレ配慮が見え隠れしつつはあるものの、個人的には新鮮でヒット。
これまでは、屈強な男性が多少の機転は効かせつつも、最後は男臭くプレデターとガチンコで対決して勝利するというのが通例だった。しかし、その描き方は第1作の時点で既に完成されており、またシュワルツェネッガーより屈強なキャラも以降のシリーズで登場しなかった為、回を重ねる毎にその意義は薄れていっていたように思う。
だからこそ、本作でナルが示した、男性より身体的戦闘能力は劣るが、その分機転を効かせて相手の特徴を観察し、作戦を立てて戦うという様子は見事だった。ナルがプレデターとタイマンを張るにはハンデがあり過ぎるという点も、兄のタアベが直前にプレデターと互角に渡り合ってダメージを蓄積させておいたからこそだと思う。物語の序盤で、ナルが手負いにしたライオンをタアベが狩るという構図が見事にひっくり返るという点でも、先述した確かな脚本力が光っている。

シリーズ屈指の凶悪でグロテスクな素顔のプレデターのデザインも見事だった。従来のシルバーの仮面ではなく、動物の骨を改造して作られたと思われる仰々しい仮面や、左手の扇状のシールド、民族的な装飾も好みである。流石にチートが過ぎるからか、お馴染みのショルダー・プラズマ・キャノンは今回は登場せず、代わりにレーザーポイントで対象を指定して放つ3連式の金属性の矢となっている。そういった新しいギミックが、中盤のコマンチ族の青年団やフランス人のハンター団を狩る際に存分に発揮されていたのも素晴らしかった。

今回のプレデターは、狩りの対象を蛇から狼、グリズリーへと次第にグレードアップさせていく。これは、その時点ではまだ人間を狩るべき対象と見なしていなかったからだと思う。だからこそ、今回の戦いを通して、エンドクレジットの壁画風アニメーションでコマンチ族の元にプレデターの母船がやって来た事から、恐らくここで初めて人間を「地球で最も狩るに足る種族」として認めた事で、後の「強い人間を狩る」事を目的としたプレデター達に繋がっていくのではないかと思われる。この点に関しては、単に続編への橋渡し的な要素かもしれないが。

上手いのが、そういった要素のどれもが、シリーズ中のそれぞれの作品で後付けされてきた設定と矛盾しない点だ。人間を狩るべき対象としていなかったのは、『vs.』1作目で示された「人間に建造技術を教え、“成人の儀”の際にエイリアンを繁殖させる為の生贄とした」という点と矛盾しない。単に下等種族、生贄としてしか見なしていなかったからこそ、今作の序盤で積極的に人間を狩りに行かないという点に繋がると思うので。

ポリコレ要素をはじめとした賛否はありつつも、全体的には高評価が目立つ様子だし、当時の視聴記録を更新する程話題にもなった作品という事で、更なる続編にも期待したい。出来れば今度こそ、劇場の大スクリーンでこのクオリティーの作品を。
緋里阿純

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