YukiSano

すずめの戸締まりのYukiSanoのネタバレレビュー・内容・結末

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

私はかつて、ボランティア兼ドキュメンタリストとして東北被災地に3年間ほど滞在し、後に広島や熊本など被災地を巡った。

ドキュメンタリーを作るものとしては被写体と程よい距離感が必要なのだが、現地に住んで友人になってしまうと客観的ではなく主観的に被災者を見てしまい、被写体への感情移入の境界線が近くなりすぎてしまった。それは撮るものとしては両刃の剣である。


新海誠の作風には、その被災者との距離感にシンパシーを常に感じてしまう。彼は取材という形で被災地に入らず、恐らく友人として人間として、現地で関わっていたに違いない。だからこそ、彼の作品はどんなにお涙頂戴展開と言われても、まるで誰かを励ますように、誰かの大切な人の鎮魂のために作品を作り続けている。もしかしたら彼もまた大切な人を失ったのかもしれない。

彼は自分の為に作品を作り続けていたアーティストだったのに、「君の名は」からアニメ界を背負って立つだけでなく災害に苦しむ国民に向けて作品を作る1人の責任ある人間となった。

裏テーマに日本神話からの引用を散りばめ、信仰に近い禊を作品に込める新海誠。まるで日本の歴史と未来を慮って、何とかこれから起こるであろう大災害を食い止めようとしているかのようだ。彼は今回、日本のあらゆる忘れ去られた土地を巡るという巡礼を作品で行った。

私は被災地で災害孤児といくらか関わり、そして何も出来ず10年が過ぎた。すずめと同じような状況の子にもあった。あの時に小学生や高校生だった子ども達がどうなったのか。今も考え続ける。その想いが後半ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、ストーリーの表層上の粗さなど忘れるほどに心を乱されてしまった。誰もが被災者にいつなってもおかしくない時代に新海誠は叫び続けている。どれほど恥ずかしげもなく叫ぼうとも誰も気づかないかもしれないのに声が枯れるまで叫んでいる。

そう感じた本作。
いびつで狂おしい魂の叫び。
南海トラフ地震、東海地震、富士山噴火が確実に起こると言われる時代。

本当に大切なものは何かと問い続けている。

日本人が取り返しが付かなくなる前に、みんなに届くまで叫び続ける責任を背負った1人の作家の咆哮を感じた。
YukiSano

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