雷電五郎

ドント・ウォーリー・ダーリンの雷電五郎のレビュー・感想・評価

3.6
砂漠の真ん中にある小さくも華やかで豊かな町に住む各々の夫婦。その中の1人であるアリスはある日、町の外の砂漠にある「本部」に迷い込んだことで次第に自分の日常が歪んでいくことに悩む、というあらすじです。

精神的な不安定さを描写する映像に鳥肌がたつような独特の忌避感や恐怖感を感じるのがホラー映画のようで怖かったです。
全体的に違和感の多い作りになっており、一見して何一つ過不足がないように見えるジャックとアリスの生活にわざとらしい作り物感を覚えることで幸福に見える生活は物語の核心に迫るための前振りであることが窺えました。

砂漠の中に豊かな物質と食糧に水、銀行もないのにすべてがツケ払いで済むなどなど、不自然な現実感のなさがまた恐ろしく感じる雰囲気がよかったです。

バーチャルリアリティの世界が現代ではなく一昔前の時代になっているのは、その時代が男性にとって最も都合が良い世界だったからではないかと思います。
女性を専業主婦として家庭の中に束縛することが当たり前の時代だったからです。

ジャックはアリスを愛していると言いながら自分にとって都合のよい理想の中へ逃げ込み、医者としての仕事にプライドを持って臨んでいたアリスを彼女が望まぬ一方的な幸福の檻に閉じ込めた。
現実が自身の思い通りにならずとも、それを受け入れて向き合わなければ生きているとはいえません。

結果的に妻を閉じ込める牢獄として最適とされるものが専業主婦というのは家父長制への皮肉を感じさせますが、フランク以外の男性陣はジャックを始め、ホモソーシャルからは程遠いいわゆる男らしさからかけ離れた性格です。
バニーがそうであったように理想を生き続けるためだけに妻をバーチャルリアリティに閉じ込めるのが目的、という訳でもなさそうだったのが夫婦という最小コミュニティにおいて何が幸福なのかを問いかける内容でもあったのではないかと思います。

男性陣は現実世界ではひたすら地道に仕事をしてバーチャルリアリティに閉じ込められた妻の面倒を見ていた訳ですから、手段はどうしようもなく愚かとはいえ、夫婦間に存在するそれぞれの事情を窺わせており、バニーのように子供達を失った悲しみから逃げるためにバーチャルリアリティという手段をとった夫婦もいたのではないかと考えると悩ましいところでした。

とはいえ、人間は現実から目を背けて生きることはできません。
完璧な理想の世界であってもそれは永遠には続かない。時に喧嘩をしようとも今をともに生きてゆくことが夫婦であることの意義ならば、どちらか一方の理想や願望を押しつければ成立しなくなるのは当然です。

フランクの言動の数々は、いわゆる有害な男らしさが男にとっての幸せであるかのようにそそのかすものが多く、無論フランクに同調する男性もいたでしょう。
ただ、ジャックはそういった有害な男らしさをアリスに振るうことはなく、最後まで彼女に手を上げたり恫喝するような真似をしませんでした。終始「ずっと自分のそばにいてほしい」が彼の懇願であったからです。
アリスもまた、だからこそジャックを愛しており振り解くことが難しかったのだと思います。
彼らの夫婦関係が家父長制にあたるのかというと私個人としては、そうは思えませんでした。

タイトルが「ダーリン」という男女隔てなく用いる言葉であることを考えても、夫から妻、妻から夫への「心配しないで」になっており、男性だけまたは女性だけが主体の話ではないように思えます。
現実を生きていけないと感じる弱さは人を間違わせるが悪でもなく、精神のタフさは人によって違うからこそ誰しもネバーランドを願うのかもしれません。

ですので、私はこの作品は「夫婦の幸福とはなんなのか」「弱さは罪なのか」を問う映画なのではないかと感じました。

面白かったです。
雷電五郎

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