あおは

僕らの世界が交わるまでのあおはのネタバレレビュー・内容・結末

僕らの世界が交わるまで(2022年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

製作会社がA24でジェシー・アイゼンバーグの初監督作品ということで、かなり楽しみに観てきた。

子どもは親とは違う人間であること。
そして、親も1人の人間であること。

自分はまだ10代だから子どものほうに強く感情移入して観るのかと思えば、親子のことについて最近考えることが多かったためか、親の気持ちも理解でき、全体的に共感できた。
親から精神的に自立しようとしプライベート空間を守り親に部屋のドアを開けられて自分の時間を犯されるのを嫌う子と、子が自分から離れていったり家の中で勝手にされたり、家族の家のなかで自由にされることがどこか気に入らない親。
自己愛を確立しようとする子どもと、子どものためと言いながらも自己愛を貫こうとする親の対立。

親に相談をすると、自分の思想を押しつけ説教されたりアドバイスされてりしてイライラする子ども。
好きなものをただ追い見えない将来へ進むのではなく、1つのものに拘らず広く社会を見てしっかり終着点を持ち自分が知る幸せのなかで生きてもらいたい親。

マルセラという女性の家で、カイルとマルセラがスペイン語で話すのをエヴリンが見つめ、親が怒るから早く帰ろうというシーンはとても印象的だった。
エヴリンはカイルに恋していたのか、ジギーで満たされないところをカイルで埋めようとしていたのかは分からなかったけれど、カイルを自分の知る範囲に置くことに執着しようとしているのだなとは思った。しかし子どもは親の知らない世界に飛び出していくから親はそれが気に入らなくなっていく。
このシーンで言えば、エヴリンは英語しか話せないけれど、マルセラとカイルはスペイン語で会話をしていた。スペイン語はエヴリンの知らない言語、知らない世界で、自分が理解できないところで話されたり、自分が外されたりするのをとても嫌がっていた。
早く帰ろうといったのに、エチオピア料理を食べにいったから。

親の子どもを自分の領域に置いておきたいという心理と、そこから飛び出していきたいという子どもの心理が強く衝突することがよく分かった。
ライラの詩にあったマーシャル諸島を搾取してきた歴史の話も、親と子のメタファーかなと思った。
親は子どもを植民地のように支配していて、自分の食べ物を食べさせ、自分が知る言語、つまり言葉もそうだし常識なども教える。
だから子どものやることや仕事が自分の知らないことだったり好みに合わなかったりすると、表面だけを捉えて気を病んでしまう。
息子は私の騎士だと言っていたカイルの母親の言葉も印象的だった。
子どもは親を満たすために存在するのではないから。
対立したときも正面から言葉をぶつけ合うというよりも、去り際などに棘のある言葉を相手にぶつけて、突っかかってきたと思ったらお互いに激昂する様もよく分かった。

親にとって重要なことと、子にとって重要なことは違うから、そこで対立が生じる。
自分の重要なことを押しつけるのに必死で子の意見を聞かずに捲し立てる感じもみられた。
それは親も人間で、自分が子どもに同じことをしてしまっているけれど、子どものころに親に押しつけられた経験があり、自分を受け入れてもらえたことがないから、子どもに押しつけることで受け入れてもらおうとしているのではないかなと思った。

子を知る日、親を知る日。

人が分かち合うには相手のことを理解しようとして歩み寄ることが大切だけれど、どちらか片方が歩み寄るだけでは難しいこともあり、双方が歩み寄ることが重要だと思った。
ラストは割と唐突で、再生の予感をさせて終わるのがとても良かった。ジギーと対面したときのエヴリンの表情も泣けた。

物語としては親と子の対立を羅列し、外での問題を進めていった感じで、大きな動きがあったようには思えなかったから楽しめなかった時間もあったけれど、共感できるという面でみればとても楽しめた映画だった。
あおは

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