あおは

アイアンクローのあおはのネタバレレビュー・内容・結末

アイアンクロー(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

プロレスはあまり知識がないし正直、興味もあまりなかったからパスしようと思っていたけれど、知人にオススメされて鑑賞。
危ないところだった。
題材や予告だけで判断するととても良い映画を逃してしまうことがあり、今回もそれに陥るところだった。

プロレスで子どもたちを守ろうとする父と、キリスト教信仰で子どもたちを守ろうとする母と、4人の息子たちのお話。
息子のケビンがテキサスのヘビー級王者になったのに、それを褒めるでもなく次の日は練習だという言葉をかけるところで、父のプロレスに対する姿勢がまず読み取れる。
その後も、息子たちに期待のランキングをつけたり、我が家にベルトを飾るのが夢だったと言ったり、勝ったのに立ち上がるのが遅いと言ったり、兄弟たちは幸せそうなのに親父だけ険しい表情をしていたり、親父だけ執念深く、何かに取り憑かれたように強くこだわっているようにみえる。
パムとデートしたケビンが、何を求めるのか聞かれたときに、世界王者になることと観客をわかせることよりも、家族と一緒に過ごすことが大切だと言っていた。それは他の兄弟全員もそうで、ケリーがオリンピックに不参加となりもどってきたときも、兄弟を見つけたときの嬉しそうな顔が物語っているように、家族をいちばん大切にしているが、父親だけは家族よりも露骨にプロレスでスターになることチャンピオンになることを大切にしていて、そういった押し付けが“呪い”になっていることは、観ていると分かってくる。
父親は自分の夢を叶えてくれる息子なら誰でもいいのだと思う。
しかし、ケビンも自慢の息子になるよとチャンピオン戦の前に父親に言っていて、息子たちも少なからずその呪縛の中に自ら飛び込んでいるようにもみえた。
父親は成功や頂点を追い求めていて、息子たちはその夢を背負わされた駒のように戦いつづけていて、果たして成功や頂点を掴み取ることが幸せを生むのだろうかという疑問は残った。疑問というよりは確信かもしれない。生まないという。

父親の支配的で執念深く独善的な姿勢が、息子たちの死という最も重い結果として描かれていて、だからこそ強く訴えかけてくるものがあり、ケビンがすべての怒りを込めて首を絞めるところは自分も手に力が入った。
気軽な表現だが、父親は言わば敵役として描かれている。でもきっと父親もこの一連の呪いの被害者なのだと思った。
一家でずっと繰り返されてきたことなのだと思う。
どうして父親はあそこまで執念深くチャンピオンを狙うのかということを考えたときに、それは承認を求めているからで、承認を求める傷というのは彼が子どものときの親との関係の中でできたもので、そのときの傷を息子たちに押し付けた結果が悲劇を招いているのだと思った。親の歪んだ愛や押し付けられた愛が繰り返されてきて、それが呪いとなっていて、誰かが本当の愛に気づいてそれを止めなければならず、それはケビンとその息子たちだという希望のお話にも見えた。
亡くなった兄弟たちを思って涙を流すケビンのもとに息子たち2人が歩み寄ってきて、ケビンは男は泣いてはいけないなと言う。息子たちは泣きたいときは泣いていい、自分たちもよく泣くからと返す。自分を好きなように表現していいのだと。この息子たちの返しがとても救いだった。好きなように自分を表現してそれをすべて受け入れるのが愛だと言っているようで、ケビンは父親から受けた押し付けがましい教育を手放して、息子たちのなかに本当の愛の姿を見つけていくのだろうなと思った。

またダークホースは母親かなとも思った。
ケビンが父親のマイクへの当たりの強さを母親に相談しようとしたときに、兄弟で解決しなさいと跳ね返すシーンがあった。強烈に禁止をマイクに押し付けるシーンもあった。また、息子たちが亡くなっていくなかで、ケリーがチャンピオンになるときにテレビで観ていて苦しそうな表情をしていたはずなのに、一切父親に立ち向かう素振りは見せない。
母親が息子たちのことを庇っていたり、もっと寄り添っていたりしたら、結果は変わったのではないかなと思った。

自分はまだ親の難しさが分からないけれど、無意識的にやっている人もきっと多く、親になる前に観られて良かったなと思ったし、親になった人が観ても子どもたちとの関係を考え直すのにとても良い機会になる映画ではないかなと思った。

ザック・エフロンは濃く色気のある顔をしていて何か癖になる。
あおは

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