あおは

四月になれば彼女はのあおはのネタバレレビュー・内容・結末

四月になれば彼女は(2024年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

自分はかなり刺さって、押し寄せる余韻に圧倒された。
自分にとって完璧と言えるような、そういう感情の昂りを感じた。
現実で愛の終わりを迎えたばかりだからかもしれない。登場人物たちと同じ状況になったわけではないけれど、それぞれの人物の気持ちがとてもよく分かり、そこに人間の脆さや切なさをみた。

ウユニ塩湖に赤い服の春が立っているシーンから始まり、その映像美に引き込まれる。
ウユニ、プラハ、アイスランド。
予告から聞いていた世界の名前。この名前の羅列からなんて綺麗な響きだろうと思っていたけれど、その感覚がそのまま映像として落とし込まれているようだった。

自分よりも大切な人がいた日々。藤代と春が大学生だった日々と、愛に迷う日々。藤代と弥生が結婚式に向けて付き合ってる日々が並行して流れていく。
森七菜ちゃんを春に抜擢したのが本当に大正解だったと思う。
キャンパス内で藤代を見つけると嬉しそうにシャッターを切るところとか、その可愛らしさにこちらまで恋をさせられている感覚になり、ヒロインがヒロインであるべき理由みたいなものをしっかり持っていて、藤代に感情移入できたから、エスカレーターで泣く表情が辛く痛く胸に突き刺さった。佐藤健のあの人間の儚さを代弁するかのような表情は流石だった。
一方、結婚式の打ち合わせまでしている藤代と弥生。2人の関係性はお互いに落ち着きを選んで成立していてとても良好に見えるが、どこか薄さも匂わされている。仲良さげでもねる部屋は別々だったりなど、セリフではなく見せて表現してくれたのがとても良かった。

真夜中に待ち合わせなんて緊張しました。で始まる朝日を見にいくシーンは、この一言で何かを予感させられ、本当はペンタックスに時間を嘘ついていたことやその後の告白も含めて、久しぶりにドキドキした。やっぱ純愛だよなぁ、涙を流すほどの恋っていいなぁとしみじみ思わされた。
でも、こうして誰かを好きな気持ちは一瞬だと言うのが、今作。

愛を終わらせない方法、それは何でしょう。
このセリフも予告から使われていたけれど、愛を終わらせない方法は何でしょう、ではなく、愛を終わらせない方法、それは何でしょうにしたところで、耳に残る語呂の良さを取ったのかなと思い、そのセンスにも感動した。

愛を終わらせない方法、それは何でしょう。
それは、手に入れないこと。
弥生のこのセリフを聞いたとき、鳥肌が全身を駆け巡った。
まさにこれ。分かっていたことではあるけれど、手に入らないからどんどん思いが強くなっていく。
愛は氷のようなもので、手に入れた瞬間、スーッと溶けていってしまう。手に入れると、相手の魅力度が下がるという心理学上の話も聞いたことがあり、それなら人は永遠に愛を手に入れられない生き物なのではないかと哀しくなった。

愛を終わらせない方法は、緩和病棟にいたおばあちゃんに匂わされていたように、相手を追い続けてすべてを知ろうとすること。何年一緒にいてもまだ相手の見たことない顔があるはずだと相手を追い続ける。相手のことを知り尽くした、すべて手に入れたと思った瞬間から愛は薄れていくのだろうと思うと、相手のすべてを知るために追うのだとしたら、あまりに人生は短いのかなとも思うし、逆に好きという気持ちがあるからさらに知りたいと思うわけで、知りたいという気持ちのあとに愛がくることはないから、これは愛を終わらせない方法にはならないのではないかとも思った。
でも藤代の同僚の女性で暗示されていたように、異性間の愛がそうであるだけで、親子間の愛は終わらないことが多い。そう考えると、異性への愛と家族への愛は別物であり、そこが交わってしまう夫婦の愛というのが最も難しい愛なのかなと思った。

仲野太賀演じるタスクも楽観的に生きているように見えて、楽なところにいて人を見下しているだけじゃんというセリフを藤代に言い、そこに深みが見られたり、ペンタックスもいいところで現れたりと、サブキャラ2人の活躍がとても良く、物語の味を引き立たせていたと感じた。

小林武史の音楽が本当に本当に良かった!
藤井風の主題歌も余韻をさらに強く深いところまで刺しこんでくれた。

今年観た映画のなかでトップ3にくるくらい良かったです!
あおは

あおは