うえびん

燃えよドラゴンのうえびんのレビュー・感想・評価

燃えよドラゴン(1973年製作の映画)
4.0
don't think! feel.

1973年 香港/アメリカ作品

ブルース・リー。名前は幼いころから聞いているし、映画作品の一部をテレビで観たことはたくんあるし、テーマ曲や「アッチョー!」の声も度々聞いたことがある。その人の映画作品を初めて観た。

とにかくカッコいい!飛び道具が一切出てこないアクション、生身の肉体一つで悪の組織に立ち向かう。こんな作品には勧善懲悪のストーリーがばっちりハマる。

武道が好きで、自分でも少しかじっているけれど、武道家が書いたり語ったりする言葉も好きで、あれこれ読んだりする。それは、頭で考えた(think)言葉ではなく、身体全体で感じた(feel)言葉だからだと思う。

『宇城憲治師に学ぶ 心技体の鍛え方』(小林信也・著)

▶相手に入る、時間の中に入る

「無意識の行動に作用し、それを抑えることは頭脳にはできません。武術は、〈無意識〉の行動に反応できるから、速いんです。頭脳ではなく、身体脳で動くからです」

時間の中に入るメカニズムを、宇城師(心道流空手道師範士八段)は『武術を活かす』(どう出版)の中で次のように書いている。

〈身体脳の本質は、時間のなかに入る(時間を超える)ということにあります。『ユーザーイリュージョンーー意識という幻想』の著者、トール・ノーレットランダージュ氏が「意識は0.5秒遅れてやってくる」と述べていますが、私たちが何かを意識した時には、すでにその0.5秒前に無意識の信号(トリガー)が出ていることが確認されています(ただし、なぜ出るのかはまだわかっていないそうです)。その後の行動を支配する無意識の時間、この0.5秒の世界に入り込むことが、私の提唱している身体脳という考え方です。

スポーツの世界ではスピードが最優先されます。そのようなスポーツや武道の世界で、この0.5秒の世界に入り込むことができれば、従来にはない飛躍的な上達が可能となります。(中略)

宇城師は、相手の身体が動く以前の、「動け」と身体が命令した時点で相手の信号を察知し、感応している。相手が頭の命令で動いていれば、身体で感じ身体で動いて〈相手の中に入る〉。宇城師に支配されるのは当然だ。型を稽古し、身体脳を高めることで、相手の無意識に入り、相手が行動を起こすトリガーを抑えることができるのだという。(中略)

相手の中に入る、相手の内面が見える。そして、相手の先(せん)を取る。言葉で言うのは簡単だが、もちろん現在の常識にとらわれていたら、永遠に到達できない。「見える」とはどういう境地か。

《「先」をとるためには相手が「見える、読める」ことができなければなりません。相手が攻撃をしかけようとするところをとらえて相手に打ち込む。これが先をとることになり、防御となるわけです。相手の攻撃に対して五感の目で見るのではなく、第六感のはたらきが先にあることが必要です。

すなわち相手の事の起こりを「感じ」(第六感)、そこをとらえるということが「見える」ということです。五感の目でとらえたのでは遅すぎて「先」はとれません。早いか遅いかの世界になります。第六感でとらえると相手の動きがよく見えます。

「ものの本質を心でとらえる」という第六感の体得が必要です。師の座波先生にいくら攻撃しようとしても手が出せなかったのは、常に事の起こりを押さえられていたからです。それにもかかわらず攻撃していくので、先生の拳を喰らうことになるわけです。太刀打ちできるはずがなかったと思います。それが武術だと思います。》(『武術空手の知と実践』より)


本作には、宇城師のいう「武術の神髄」が言葉で語られるだけでなく、ブルース・リーの闘技(演舞)からもそれを感じとることができる。武道を通じた精神性までも。

内田樹の研究室(http://blog.tatsuru.com/)


前にも書いたことだけれど、90年の歴史をもつハリウッド映画には興行収入や観客動員数や文化的影響において華々しい記録をもつ無数の映画が存在するが、五大陸のすべてでヒットした映画はひとつしか存在しない。ニューヨークでも北京でも、ナイロビでもホノルルでも、東京でもイスタンブールでも客が押し寄せた唯一の映画。

人種、宗教、言語、風俗を超えて圧倒的な支持を得た唯一のハリウッド映画、それは『燃えよドラゴン』である。

世界どこでも、映画館を出た若者たちは、そのまま空中に躍り上がって「アッチョー」と絶叫したのである。ブルース・リーが発したこの「怪鳥音」と呼ばれた音声はあるいは中国古来の呪法の流れを汲むものではないかと私は想像している。その「音」は観客をおそらくは分子レベルで震撼させたのである。音は意味よりも深く遠い。


don't think! feel.

大好きなテーマだから、考えた(think)言葉を連ねすぎてしまったけれど、感じた(feel)ことがたくさんありすぎたからなんだと思う。
うえびん

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