Habby中野

シスター 夏のわかれ道のHabby中野のネタバレレビュー・内容・結末

シスター 夏のわかれ道(2021年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

事故車を至近距離で舐めるように眺める─車内から呆然としているアンランを見つめる─車外からアンランを捉える─救急車から残されたアンランに視線を送る。冒頭から視点の不安定さにクラクラした。それに脈絡のない美しいキメカット。中心がなくなるような、船酔いに似た心地悪さだ。
このカメラは、通常我々が知覚しない位置から兄妹を見続ける。死んだ父母の視点。これは意味不明に(事故の死因は匂わせるだけでついに解明されないし、それを追及する物語とはならなかった)死に至った両親による─政府の政策と自らの愚かさに対する?─悔恨と反省の物語だ。そしてカメラがいつも正しいとは限らない。
ただ家族というだけ、生まれてきただけで縛られることに反発するアンランの生き方は正しい。それを否定することは決してあってはいけない。ただ、家族のために進学を諦めたおばや、息子がほしいがために娘に嘘の振る舞いを強要せざるを得なかったアンランの両親が、何もかも間違っていたと言うこともできない。悪ではない。悪なのは、外から定められた形だ。それによって何ものの自由も阻害されるべきではなかった。
カメラ=両親はそれを不自由な死によって、その後の子どもたちの姿を見ることによって、理解していく。終盤、何度も何度もしつこいくらいにチープに繰り返されるアンランによる弟の連れ出し、そこにはカメラも参加する。二人が走り、カメラも走る。演出は安っぽいが、なんだか映像はうれしそうだった。
国によって定められた傲慢な制限も、通念のための自己犠牲の伝統化も内輪の怨恨も嫉妬も、犠牲者を生むだけだ。家族には形は必要ない、存在だけでいい。
主人公に選択させてそれを眺めるのではなく、選択させてしまった側の視点でそこに参加する。われわれは彼らの姿を見ただけでなく、そこにいたのだがら、知らない、わからないなんてもう言えない。
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