うえびん

愛する人に伝える言葉のうえびんのレビュー・感想・評価

愛する人に伝える言葉(2021年製作の映画)
3.8
想い残し

2021年 フランス作品

癌で余命宣告を受けた39歳の息子とその母が、互いの人生を見つめ直す物語。息子のバンジャマンを演じるブノワ・マジメルと母を演じるカトリーヌ・ドヌーヴの掛け合いが、残された時間と相まって味わい深かった。

患者、患者の家族、医師、看護師、ホスピスのスタッフ…。人の人生の最期の時を共に過ごすことの苦しさ、悲しさと共に尊さを感じさせられた。

アメリカの精神科医キューブラー・ロスは著書『死の受容』で、人が死ぬ過程で抱く心理的段階を説いた。「否認」→「怒り」→「取引」→「抑うつ」→「受容」の5つの段階を経て人は死んで逝くのだと。患者(バンジャマン)の生き方には、その5つの段階が透かし見える。

「死ぬ覚悟はできている」だけど「死にたくない」というアンビバレントな感情は想像に難くない。

上智大学のアルフォンス・デーケン氏は「死の準備教育」を提唱した。「死を見つめることは、生を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を問い直すことだ。」と。医師(エデ)の患者や家族と向き合う姿に、死に対する教育者の姿が見える。存在感と雰囲気がよかったなぁと感じて作品の公式HPを見たら、この方、なんと現役の医師でいらっしゃったんですね。助言の一言ひとことにも重みと深さが感じられます。

「赦してくれ」
「僕は赦す」
「愛している」
「ありがとう」
「さようなら」

人生で何も成し遂げていないと「抑うつ」状態に陥ったバンジャマンが、「死を受容」した際に感じたであろう“存在感”とはどんなものだったんだろうか。

彼が熱心な演劇の指導者だったことから想像してみた。

『演劇入門』(平田オリザ著)


演劇は、演説のように、それを聞くために集まった聴衆に向けてのものではなく、あるいはディベートのように、敵意をむき出しにした相手に向かっての議論でもない。

演劇において、表現者と鑑賞者が時空間を共有するということは、すなわち、仮想の共同体を共に生きているということだろう。だとすれば、そこではコンテクストの摺り合わせが、何らかの形で行われているはずなのだ。(中略)

もちろん、鑑賞者は一人ではないから、すべての人が同じ方法で導かれるとは限らない。むしろ大切なのは、すべての人が同じ方法で導かれるのではなく、表現者が提示するさまざまな情報の中から、鑑賞者が主体的、能動的に、個々人にとって有効な情報を選び出し、表現者と一対一の、独立したコンテクストの共有が行われることが望ましい。千人の観客がいれば、表現者に対して千組のコンテクストの共有が行われることが望ましいのだ。そのためには、千とおりの「内的対話」が、そこに保証されていなければならない。


バンジャマンはホスピスでの療養、家族や知人や医療スタッフとの関りを通じて、自らの人生の鑑賞者となれたのだろう。そして、「内的対話」を繰り返した結果、自分(表現者)と自分(鑑賞者)のコンテクストを摺り合わせることができたんだろう。それが、彼が最期に掴んだ”存在感”(この世に生きた証)だったんじゃないだろうか。

そうやって想像すると、医師エドは、患者と家族とスタッフ(表現者たち)の人生劇の演出家のようにも思えてきて、エドとバンジャマンの生き様が重なった。
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