真田ピロシキ

そばかすの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

そばかす(2022年製作の映画)
4.3
全くのノーマークだったが、アロマアセクシャルが題材で『サマーフィルムにのって』や『お耳に合いましたら』の伊藤万理華が出演。加えて羊文学の塩塚モエカさんが楽曲提供と聞いては興味をそそられずにはいられない。主役の三浦透子は『ドライブ・マイ・カー』の人であるが未見で知らない。と思ってたら鎌倉殿で義経の正妻 里を演じてた。あの人ね。前田敦子は縁がなくて演技を見るのも初めてどころかAKBで動いてたのすらろくに見たことないのでまともに見るのが初めて。そんな態度で鑑賞。

30歳になって妹が妊娠しても恋愛感情や性欲がなくてそういうものを全く理解できない主人公の佳純(三浦透子)に対する圧。付き合いで合コンに出れば関心のない話を振られてそれっぽい言葉を返すしかなく、しかも実家暮らしの女性なために母親からは無断でお見合いをセッティングされる始末。浜松という田舎ではないが大都会でもない土地で三十路になった女性が独身で実家暮らしする不自由さがボディブローのように蓄積される話運び。嫌なら出ていけばいいと思うかもしれないが、今の日本の低収入で自活することが大変なのは知っての通りで、転職した児童館も非正規雇用なんじゃない?世間体も経済事情もありのままに生きるなんてなかなか許されない。それでも不断の意志を持つ強さがあるなら別だろうが、佳純は自分がどういう人間なのかという自認も確固とはしてなくてそんな行動には踏み出せない。しかしマイノリティ映画の主人公は強い人を描かれがちだが、実際はそんな強いのは少なく、本作ではマイノリティの中の多数派である弱さを許容しており、様々な圧に苦しめられながらも生きている人達には存在を肯定され救いになるのではないか。子供向けにシンデレラ動画を作る中で男目線の原作に反発して私シンデレラを作るも、保護者の戸惑いに耐えられず途中で再生を止めて「子供の頃から多様性を刷り込むのはどうかと」とふざけたことを抜かすジジイに頭を下げてしまう姿は社会に生きる標準的な人間。一緒に作った真帆(前田敦子)は謝罪されても全く責めない。しかしそのジジイは真帆の父親で市議会議員候補のそいつには直接怒りをぶちまける。あなたが言えなくてもその思いを繋いでくれる誰かはいる。これが社会運動の形。マイノリティ憑依とか言ってる人の足を引っ張るだけのクソバカなど語るに値しない。『宇宙戦争』のダメ親父トム・クルーズが好きと度々例に出してて、強さばかり求められるハリウッドヒーローから弱さの価値を見出せるのがユニークな視点。逃げてもいい。佳純の父(三宅弘城)が鬱で休職中で最後には仕事を辞めることを家族が肯定してることにも逃げを推奨する。有害な男らしさを否定するのはセクシャルマイノリティのみならず様々な点で一般市民に良い影響をもたらすはずだ。

本作中にはアロマアセクシャルという概念はないのか誰も知らないのは気にかかる点ではあるが、それだけ世間に見えていない存在ということで、真帆との仲を誤解した佳純の妹(伊藤万理華)が「お姉ちゃんがレズビアンでもこの家の誰もおかしいとは思わないよ」と同性愛には理解を示せても、恋愛感情や性欲がない人間がいるとは想像もつかない世間との隔たりが表現されている。そんな状況でなおさらカミングアウトなどしづらい訳で、それでもあなたと同じ人は確かにいるよと示したあの彼を通したメッセージ。今年は本作以外にもNHKドラマ『恋せぬふたり』でアロマアセクシャルを周知させてて意味のある年だったのではないか。こういう作品で恋愛しなくても別に恥ずかしくも不幸でもないという価値観が広まればアロマアセクシャルでなくても無意味な圧から解放される人が増える。ミソジニーを拗らせて女性叩きをしてるような非モテの害オタも救われるはずなんだ。

三浦透子は同じタイプと思ってた男性に言い寄られ戸惑いと申し訳なさを感じてるシーンやシンデレラで次第に居た堪れなくなる表情など微妙な感情の入り混じりが上手く感じた。前田敦子もサバサバとしてながらクソ親父には凄む姿など求められる演技をこなしてて、元AKBセンターだけあり結構有名だったAV女優の華も匂わせる。それでいて会いに行けるアイドルなので庶民的さも。これは平凡な妊婦役である元乃木坂 伊藤万理華の方が上かな。どっちもキレる役。秋元康系アイドルのイメージなのか。照明に光るものを感じられて、シンデレラを作成してる佳純と真帆が蛍光灯の下で話す明暗の広がりが落ち着きあって30代の人間を描くとして品が良い。今やこういうのこそ安心する。三浦透子が歌うエンディング曲は歌詞もメロディも羊文学でファンの自分には素晴らしい余韻。110分もない割に長く感じる冗長さはややあったもの、集中力を途切れさせず最後まで見れて満足です。