ヨーク

スピリッツ・オブ・ジ・エアのヨークのレビュー・感想・評価

4.2
いやぁこれはいいもん観たなぁ。いいですよこれは。これはいい。
映画を形容する言葉として映像詩という言い回しがあるが、俺は今までその言い回しがなんか腑に落ちなかった。映像は映像で詩は詩だろ、別物じゃねぇか、詩的な映像とか映像を喚起させるような詩、という言い方なら分かるがその二つを雑に融合させるんじゃねぇよ、と思っていたのである。面倒くさいこと言いやがってと思われるだろうけど、だって曖昧な表現じゃないですか、映像詩。でもね、本作はそんな映像詩とかいう言い回しを認めない派の俺が映像詩という言葉をすんなりと受け入れることができた、というかこの作品を言い表すには映像詩とでも言う他ないと思ったんですよ。そういう映画だった『スピリッツ・オブ・ジ・エア』は。
映画の冒頭はポストアポカリプスとかを思わせるような荒涼とした荒野に文明や信仰の残骸が残っているといった風景で始まり、その風景の中を男が歩いている。しばらくその歩いているだけの映像が続き、場面が変わって荒野に置かれた椅子に座ってモンゴルの馬頭琴のような楽器を奏でる女性の後ろ姿が映される。もうその冒頭数分だけでノックアウト。まだ物語なんて何も語られてないのに、その情景の美しさだけで強烈な恍惚と満足感を覚えたのですよ、俺は。
多分この冒頭のシーンはある種の篩にもなっていると思う。この映画の名刺と言ってもいいかもしれない。本作はこういう映画ですよ、独特で個性的な上に寡黙で好きな人は好きだけど嫌いな人は嫌いだと思うよ、という自己紹介のような冒頭シーンで、合わないと思ったら帰ってもいいよと言っているようにも感じられた。実際俺の斜め前に座ってたおじさんは40~50分あたりで席を立って戻ってこなかったが、まぁ合う合わないはある映画だと思う。
それにしても凄いのは96分のランタイムなんだけど物語らしい物語は殆どないんですよね。荒野を彷徨っていた男が世界の涯てのような一軒家に辿り着く、その家では兄と妹が暮らしている。男は逃亡者で北の山を越えたいが徒歩では登攀できない絶壁で飛行機でもなければ無理らしい。兄は手作りの飛行機で空を飛び彼方へと行く夢に憑りつかれていたが、かつて自作の飛行機で事故って下半身不随、妹はこの土地を離れてはいけないという父の遺言を頑なに守って、よそ者である逃亡者の男を邪険にする。本作の概要は大体こんなものなのだが本当に最初から最後までこのまんまなんですよ。びっくりするほど物語が動かない。
逃亡者は飛行機が欲しいし兄も飛行機で空を飛ぶ夢があるから二人は意気投合して飛行機を作るがその土地を離れたくない妹が嫌がらせをしてくる、というそれだけですから、この映画。96分それしかない。ちょっとテレビゲーム的な感じになるけど大抵の物語ではその飛行機を作るために必要な部品があってそれを調達するためには○○という場所へ行かなければいけない、しかしそこでは××といった試練がある、みたいに物語が膨らむじゃないですか。テレビゲーム的にはいわゆるお使いクエストというやつだけど。本作ではそういう展開一切ないから。なんかジャンクな風景とあんまり衛生的じゃなさそうな生活とクソ不味そうな豆のスープが描かれるばかり。ガラクタみたいな飛行機を飛ばして失敗するばかり。そんなのを延々と見せられるわけなので、そりゃ斜め前に座ってたおじさんも途中で帰るわというのも分からなくはない。
でも面白いんすよね、それが。空を飛ぶという子供じみた夢へ邁進する姿の純粋さと狂気が。それと対比されるようなカラッカラに乾いた風景が。保守的で意固地に見える妹の情念が。もうそういうのが映像から迸ってきて俺は全然退屈しなかったですね。実に面白かった。中盤からちょっと鳥人間コンテストみたいになるしね。
あとこれは観劇後に映画館内にあるポスターを見たら「このラストは絶望か、希望か」て感じのアオリがあったんだけど、俺は凄く希望を感じるハッピーエンドだと思いましたね。ネタバレ配慮で詳しく書かないけど本作は非常にキリスト教的で、この感想文の最初に書いた文明と信仰を守る物語なんだと思うんですよ。そしてそれを守ることに成功して、やがて新たな文明と信仰が齎されるという予感を匂わせて終わっていると思うのでとてもハッピーエンドですよ。明らかにキリスト教的世界観がベースにあるので逃亡者を追っていたあの3人の追手は東から来た人たちでしょう。だったら何をか言わんやで希望に満ちた物語だと思うんですけどね。その辺を分かりやすく説明しないのも映像詩たる感じなんでしょうか、いやそれは分からないですが。
いや面白かったです。ちなみにBGMも良かった。
ヨーク

ヨーク