ヨーク

ブルックリンでオペラをのヨークのレビュー・感想・評価

ブルックリンでオペラを(2023年製作の映画)
4.0
この『ブルックリンでオペラを』という作品のことを知ったのは今年の一月末くらいにウディ・アレンの新作である『サン・セバスチャンへ、ようこそ』を観に行ったときに本編の前の予告編で見たのが最初だったと思うが、いやびっくりしたよね。だってウディ・アレンの新作を観に来たらウディ・アレン作品の予告編が始まった!? って思ったもん。
だってさ、あらすじ紹介も兼ねて書くと、その予告編ではブルックリンで暮らすスランプ中のオペラの作曲家と潔癖症の精神科医の夫婦が主人公であり二人は一見何不自由のない生活をしているんだけどそれと同時に満たされない何かを感じてもいるんですよね。そんでスランプの夫は精神科医の妻から「自分の殻を破って外の世界に行ってこい」ということで散歩を薦められる。そんでその散歩先で出会ったのがタグボートの女性船長でなんと彼女はストーカー気質の超恋愛体質な人間でスランプ中のオペラ作曲家に恋をしてしまう…というもの。しかもその予告編はビゼーの『カルメン』の中の「ハバネラ」と共に流されるのだ。
こんなもんどう見てもウディ・アレンの新作だろ! ニューヨークが舞台で若者ではなくいい年こいて伴侶すらいるおじさんおばさんがドタバタな恋愛をするってだけでもかなりウディ・アレンっぽいのにオペラとか潔癖症とか恋愛依存症とか移民問題とか悉く要素がウディ・アレンっぽいんだよ。しかもトドメにランタイムが102分という尺もウディ・アレンっぽい! え、マジでウディ・アレンの新作を立て続けに公開なのかな、まぁ長く干されてたからその間に撮るだけは撮ってたのかなとか思ってたんだけど『サンセバスチャン』を観た後にググってみたら全然違う監督でした。本作の監督はレベッカ・ミラーという人でしたね。
ちなみに俺はそのレベッカ・ミラーという人のことはよく知らなくて検索しても多分今まで見たことはない監督だったと思うのだが、でもこの『ブルックリンでオペラを』は面白かったです。思わぬ拾い物をしたというくらいには良かった。上記したように映画の内容としてはいい年こいた大人が右往左往する恋愛喜劇なのだが、どこらへんが思わぬ拾い物だったのかというと、基本は下らなくも笑えるメロドラマなのだが本作の芯の部分にはかなりストレートな現代アメリカへの批判があったと思うんですよ。それは多分トランプ旋風からコロナ禍とその渦中に起きたジョージ・フロイドの死を受けての過激なBLM運動とウクライナ戦争を経て(継戦中だが)の今現在のイスラエル・パレスチナの状態も含めて、今のアメリカこれでいいの? 生まれ変わるべきじゃないの!? という思いが込められた映画だと、俺にはそう思えたんですよね。
ちなみに本作を観る前に俺は現在リバイバル上映中の『続・夕陽のガンマン』を観てそこからのハシゴだったのだが、言うまでもないと思うが『続・夕陽のガンマン』には重要な背景として南北戦争というモチーフがある。そしてびっくりしたけど本作にも南北戦争のモチーフがあったのである。南北戦争といえばアメリカ史の中でも独立戦争と同等か下手したらそれ以上に重要な現在のアメリカの姿へと直結している出来事だと思うのだが、本作でモチーフとして描かれる南北戦争というものは歴史オタクがその戦場を再現してキャッキャウフフと遊ぶようなものとして描かれるのである。日本でも地方の町おこし的なやつで戦国時代とかの有名な合戦を再現するイベントとかあるじゃないですか、そういう感じのノリで本作の劇中でも南北戦争に触れられるのである。
そこでは登場人物としては記録に固執する頭の固い保守的な歴史マニアのおじさんが参加しているのだが、そのおじさんは作中の役割として新しいスタートを切ろうとする若者たちの邪魔をするっていう、まぁ悪とまでは言わなくても憎まれ役としてのポジションなんですよね。その憎まれおじさんがかつての歴史再現の南北戦争ごっこをやっている内に問題の若者たちがどうするか…というのが後半の見どころなんだが、可能な限りネタバレに配慮して書くと上記したスランプの作曲家や潔癖症の精神科医や恋愛依存症のストーカー船長という主人公たちがその若者たちを導くことになる。ただ、その映画の主役ではあるが歳を食ったおじさんおばさんたちでもある彼らは若者の背を押しながらも、これは自分たちがした失敗の再生産になるかもしれない、という思いは持ってるんですよ。そうだなぁ、例えば画家になりたかったけど挫折した親父がいたとしてその息子がまた画家になると言い出し、親父的には自分と同じ失敗はしてほしくないんだけど本人が望んでいるのなら協力してあげるべきかなぁ、となるような感じが本作の終盤の展開なんですけど、それが演出としてはアメリカの歴史を再生産しながらも過去の失敗を乗り越えてほしいというところにまで昇華されてると思うんですよ。
だって南北戦争ごっこから逃れた先ってのがデラウェア州で、恐らくはデラウェア川の河口であるデラウェア湾なんですよ。デラウェア川といえば独立戦争のワシントンでしょ。そんで本作はまるでアメリカ史をループするようにニューヨークからそのデラウェア川の河口まで至るわけだ。まるでアメリカ史をもう一度やり直すように、生まれ変わるようにしてそこへとたどり着くのである。そして本作の主人公たちはその場所まで若者を導く過程でそれぞれに救いを得る。ただ一人、何度も南北戦争を繰り返すことにしか興味がないおじさんを除いては。
俺はこの映画はそういう映画なのだと思いましたね。出てくる登場人物、特にメイン級の主人公たちである大人共は例外なく全員病んでるんだけどそれでもやり直せるし生まれ変わることもできるし、後続の若者のために何かをしてやれることもあるという希望が描かれる。それはただの堂々巡りではなくて少しでも前に進むことができる可能性であるかもしれない。そういうことを軽いノリの恋愛喜劇の中にしっかりと潜ませているのだから本作は大したもんですよ。
あと、これも書いておきたいが恋愛依存症のストーカー船長のエピソードにある映画に関する部分も凄く良くて、あれって本作の結末も踏まえれば昔自分が憧れた映画の素敵さは現実にも存在するんだぞっていうめちゃくちゃ前向きな映画賛歌なんだよね。
そういう演出も含めて細部に至るまで実にウディ・アレンぽい映画ではあったのだが、個人的には皮肉や嫌味といった人生への諦念はウディ・アレン作品よりも薄かったのでこちらの方が広くオススメできるのではないかなと思う。というわけで面白かったです。きっとヒットするような作品ではないだろうが俺は好きですね。
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