ヨーク

12日の殺人のヨークのレビュー・感想・評価

12日の殺人(2022年製作の映画)
4.1
本作の監督であるドミニク・モルの『悪なき殺人』が面白かった記憶があったのでこの『12日の殺人』も観ることにしたのだが、率直に感想を書くと本作も面白かったです。これは脚本も演出もよく出来ていて、それでいて今のいわゆる先進国(嫌いな言い回しだが…)にとっては中々強烈な皮肉と共に刺さる映画だろうと思う。
本作を観ながら俺が思い浮かべていたのは奥田民生が矢野顕子の「ラーメン食べたい」をカバーしたバージョンなのだが、その奥田民生バージョンは歌詞がちょっとだけ変えられていて、矢野顕子バージョンでは“男もつらいけど 女もつらいのよ”と歌われるのだが奥田民生はその部分を“女もつらいけど 男もつらいのよ”と歌い変えたのである。ある種の返歌ではあるが非常に単純であり力強い意志と共に優しい歌い変えだと俺は思った。多分矢野顕子も原曲で二番の歌詞を“女もつらいけど…”にしなかったことをしくじったと思ったのではないだろうか。だってシンプルに両方の立場からのつらさが語られた方が平等じゃないですか。まぁ「ラーメン食べたい」が発売されたのは1984年なのでその時点で女が一人ラーメン屋で麺を啜っているという状況を歌い上げた矢野顕子は本当にいい曲作ったなぁ、と思うのだが、やっぱそこには女からの立場しか歌われていなかったというのは事実で、そこをこれ以上ないシンプルな歌詞の入れ替えで男からの立場でも歌った奥田民生はいい仕事したなぁと思うんですよね。そろそろ何言ってんだコイツ…と思われそうなので映画の感想に戻るが、この『12日の殺人』という映画も大体はそういう映画だったと思うのである。
お話は実際の未解決事件を元にした劇映画で、これは公式サイトにもモロに書いてあるからネタバレではないとして書いてしまうが未解決事件が元ネタなので劇中の殺人事件も解決はしない。フランスの山中にある深夜の田舎町で友人宅から帰宅中の女子大生が何者かに焼き殺されるという凄惨な事件が発生し、主人公の刑事はその事件を追う…というのが本作の大まかなあらすじなのだが、その事件は解決はしません。
殺人事件もので犯人が見つからずに未解決のままで終わるとか、じゃあ映画としての見どころはどこなんだよ? となるのは当然だと思うが本作の見どころは劇中の殺人事件を通してそれを捜査する主人公である刑事の心情が少しだけ変化していき、それが現代におけるあるムーブメントがもたらした新たな溝を僅かだが埋める、というものである。あるムーブメントとか回りくどい言い回しをしてしまったが、要はMeToo運動以降に活発になった主にネット上(ここ大事)でのラディカルなフェミニズムのことである。正直、20世紀から続いてきたフェミニズムの運動を現在のネット上でのものと結びつけたくはないというのが本音だが、如何せんフェミニズムという語を錦の御旗にして活動されてしまうとそうもいかなくなるのが実情でもあろう。ただ主にネット上(ここ大事、と大事なことなので二回書いておく)でのフェミニズムというのは本来の意味での男女平等というところを大幅に越えてしまって、それってもはや単なる男性嫌悪だろうというところまで行ってしまっていて女尊男卑が正常であるとまで歪んでしまってるケースすら見るんですよね。
んで本作の主人公も正にそのようにある意味では最先端な感覚を持って女性を傷つける男は許せん! ということで事件の捜査をしていくのだが、その捜査の過程で浮かんでくる容疑者共も揃いも揃ってロクでもない男ばかりなのでどんどんその思考の沼にハマっていってしまい、容疑者(と彼は思っている)としての男の存在と自分が同性であるということに苦しみさえ感じていくようになってしまうのである。これは主人公が現代のラディカルなフェミニズムを無意識のうちで正しいものとして受け入れてしまっているから起こることで、彼は自分でも気付かない内に男=加害者で女=被害者だという逆差別的な偏見を持ってしまっているのだ。ま、統計にも表れている(フランスは知らんが少なくとも日本では)ように凶悪犯罪の犯人は大多数が男ではあるので、容疑者を男であろうという体で捜査するといいうのはセオリー通りではあるのだが、それはそれとしてこれも当然のことだが女性の凶悪犯罪者だって現実にはいるのである。
でも本作の主人公はおそらく自分でも無意識のうちに犯人は男だと決めつけてそれを前提とした捜査をしていたわけだ。そしてそのことを「男と女の間には埋められない溝がある」と言うわけである。だが物語の中盤以降に出てくる女性判事は「私は男だからとか女だからとか考えない」と言い、迷宮入りしかけた事件を再捜査するよう主人公に促す。そしてその再捜査の先に、もしかして男女の間に埋められない溝があると思っていたのは自分の思い込みではないだろうか、ということに至るのである。
俺は本作をそういう映画だと思って観た。つまり昨今のネット上で(ネット上で)盛んな男を敵としてしか認知できない行き過ぎた思想は本来的なフェミニズムでも男女平等でもなく、男と女という立場の異なる両者の断絶をより深めるだけの全く逆効果なものでしかないということを本作はさり気なく描いているのであると思う。俺なんかは由緒正しい立派なフェミニストだから映画観てる間ずっと「まず被害者が最後まで一緒にいた親友を疑えよ!」と思いながら観てましたからね! HAHAHA!
でも本作の犯人が男だと思い込んでしまうことは怖いことですよ。劇中の犯行シーンでは犯人の姿も描かれて被害者が見たであろう正面から見た犯人も描写されるのだが、それは深くフードを被って目だし帽みたいな顔全体が覆われるマスクのようなものを装着した姿なんですよ。犯行シーン自体を描きたい、というだけなら犯人の後ろ姿から撮ったものでもいいのにわざわざ犯人の正面を見せつつ、その顔は分からないようにしているのである。これは暗に男でも女でもあり得るということなのだろうと俺は思った。でも本作を観た人の多くは無意識的に犯人を男だと思っていたんじゃないだろうか。それこそが主人公の苦しみの根幹であり、男と女を分けて考えてしまっているということなんですけどね。本作のモチーフとなった事件が未解決であるということもその点に於いて非常に重要な意味があって、犯人が男なのか女なのかハッキリしてしまうと映画のテーマがぼやけてしまうんですよね。それを踏まえた上で本作は脚本も演出も非常に完成度の高いものだったと思う。
矢野顕子の「ラーメン食べたい」は“男もつらいけど 女もつらいのよ”と歌われ、奥田民生はそれを“女もつらいけど 男もつらいのよ”と歌い変えた。そしてその歌詞はどちらも“友達になれたらいいのに”と続くのである。俺は友達という関係性は同等で対等な関係なのだと思っている。本作は男と女がそうなるために少しだけでもその間にある溝を埋めることができる端緒となり得る映画だったと思う。
面白かったです。
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