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ぬいぐるみとしゃべる人はやさしいのSPNminacoのレビュー・感想・評価

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『パディントン2』がラディカル・ナイスコアと評されたように、この世知辛い世の中では良心とか繊細さ優しさは過激思想となる…そんなぬいぐるみ過激派映画(?)。
ここでの優しさとは「他人の領域を侵さない」こと(七森と麦戸が自己紹介する時の距離!)。集団社会では往々にしてそれが難しい。個人はないがしろにされがちで、大きな声が小さな声をかき消してしまう。なので、ぬいサーにはぬいぐるみと喋るお互いの声を聞かないルールがあって、結構そこが厳しい。穏やかな安全圏、聖域を維持するのも努力が要るのだ。
人の心を受け止めるぬいぐるみは、ご神体みたいに神聖に扱われる。ぬいぐるみを優しく丁寧に洗うのは、自分自身の荒らされり汚された部分を清める儀式のよう。手を合わせて拝んだりもする。といってもカルトじゃなくて、自分を大切にするためのヒーリングセラピーか。ペットとは違う、もっと人と一体化した存在らしい。
大人(大学生以外)を極力排して、度々挟まれるぬいぐるみ視点ショットが若い人の小さな世界を映し出す。我々がぬいぐるみを見る時、ぬいぐるみもまた我々を見ている。でも七森、麦戸、白城はお互いなかなか直接向き合うことにならない。傷つけられる側の方が傷つけることに自覚的だから。ふわふわした柔らかさは場合によって鋭利で、硬い防護壁でもある。
つまり、ぬいぐるみは日々闘ってる。ぬいぐるみと喋らない白城ちゃんも闘っている。この壊れやすい聖域を守るために。必要とする誰かのために。
シンプルだけどさほどお金がかかってなさそうなアパートのインテリア(ニトリ?)がすごく今どきらしかった。普段のダイアローグや脇役はいささか陳腐なクリシェっぽく思えたがあんなものだろうか。どうせならぬいぐるみをもっとフェティッシュに撮っていい気がするし(そういう愛着もあるだろう)、ぬいサー新入生が体育会系男子(そういう人もいるだろう)だったら良かったな。
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