花火

美と殺戮のすべての花火のネタバレレビュー・内容・結末

美と殺戮のすべて(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

黒いゴミ袋の中から空の薬容器が取り出される。その集団を遠巻きに見つめた後、メトロポリタン美術館に押し入っていく彼らを追うカメラ。すると彼らはデンドゥール神殿前に張られた水の中へ次々とそれを投げ込んでいく。そのままダイインの抗議に移った彼らと高さを合わせるように、水面すれすれまで下げられたカメラが浮かぶ空容器を写し出す。この鮮烈な幕開けは、ナン・ゴールディンが「インパクトが大事だ」とするACT-UPの活動から学んだのだという。それは映画のつかみとしても全く正しい。後に、パーデュー・ファームズがオキシコンチンを発売するとき「処方箋の嵐を起こそう」と言葉を残したことにちなみ、グッゲンハイム美術館で上階から処方箋を模した抗議文をばら撒く抗議行動を1Fから見上げる画面も、落下という極めて映画的なアクション=観客の目を引く正解と言わざるを得ない

物語ではなく、正しい記憶を残したいと投影される自身の作品を見ながらナン・ゴールディンが語る。本作で特徴的な演出のひとつが、この冒頭部を除き、ナンへのインタビュー音声が流れるとき、映像は彼女を一切写さず、彼女の作品をスライドショー的に映し出していることだ。P.A.I.N.のメンバーやオピオイド危機を報じたジャーナリストなどがトーキングヘッズ形式で写されることとは対称的である。このスタイルによって、積み重ねられた年齢を感じさせる声色の音声としての語りと、ナンが「写真こそ私の言語だった」と話した作品による語りとが重層的に立ち上がってくるわけだ。しかも写真は、まさしく物語ではなく事実を瞬間の中に記録するアートである。このことは作中、交際していた相手に眼底骨折するほど目を殴られた(その事実自体、ナンが"見る"人であることを象徴する)ときに彼女が言われた「虐待を受けた場合、その傷を写真に撮っておくといい」と専門家にアドバイスされたことも補強している。

姉の自死とその原因となった両親の行動への反発。それこそナンの人格形成の原点であり、かつそれを拒絶する力が無かった当時と異なり、自身の回顧展を企画するロンドンの美術館に対し寄付金を拒否することを条件とするなど写真家として名声=力を得た現在の姿とが並行して語られる(ちなみにこの試みが成功したとき、スマホカメラを構える監督が部屋の中にいるナンからハグされるシーンで、おそらく抱き返すためにカメラが右に逸れるのが撮影より対象との関係こそ尊ぶようで感動的だった)。ただそれ以上に印象に残ったのは、保守的な故郷を抜け出してニューヨークに渡りそこで交流を深めた友人たちが、エイズや薬物中毒によって次々に命を落としていったことを伝えるパートが本気で悲しく恐ろしかった。一方でナンが写真を残していたからこそ彼らの姿が今もなお見られることは、生き延びたナンが勝ち取った僅かな希望だろう。そしてコロナ禍で行われた対サックラー家のリモート裁判で、証言するナンの手に同じP.A.I.N.メンバーの手が添えられる。カメラはそれを見逃すこと無くアップで捉える。

ついに活動が実を結び、冒頭で抗議行動が行われたメトロポリタン美術館からサックラーの名が消される。映画は喜びを交わすP.A.I.N.メンバーを撮影するナンが、カメラに向かってシャッターを切るカットで終えられる。
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