fujisan

美と殺戮のすべてのfujisanのレビュー・感想・評価

美と殺戮のすべて(2022年製作の映画)
3.6
スティグマ(差別や偏見)と闘い続ける女性写真家、ナン・ゴールディンの、『美』と『殺戮のすべて』

昨年度のアカデミー長編ドキュメンタリー賞にノミネート作品されたアメリカ作品。

本作では、2つのことが語られます。
ひとつは、常に自由で解放的な美と愛を撮り続ける世界的な写真家ナン・ゴールディンの生涯という美の側面と、もう一つはアメリカにおけるオピオイド中毒による大量死と闘うという、殺戮の側面です。



冒頭、2018年3月、NYのメトロポリタン美術館内の『サックラー・ウイング』と名付けられた展示スペースの映像。そこは、製薬会社を営む大富豪、サックラー家の寄付によって名前が冠せられた作られた展示スペース。

そして、オキシコンチンなどのオピオイド鎮痛薬によって10万人の命が奪われた、とのテロップ。

それは、手術時にオピオイド鎮痛薬を投与された結果依存症になり、4年間を施設で過ごしていたナンが回復後に決意したサックラー家との長い闘いの始まり。初の抗議活動の風景なのでした。

映画は、以下六章で構成されています。
1.無慈悲な必然性
2.生きる術
3.バラード
4.消えゆく命
5.逃げ道
6.姉妹

第一章で語られるのはナンの親代わりでもあった姉バーバラの話。

同性愛者であることを咎められ、親から矯正施設に何度も預け入れられた結果自殺に追い込まれた姉。ナンは、このままだと次は妹も同じ道をたどるという医師の指示により、養子縁組によって実家を離れます。

そこからは、彼女自身が生きるために辿った華やかで壮絶な人生、そして代表作『性的依存のバラード』による成功とHIV/AIDSに対する差別と偏見との闘い。そしてサックラー家との闘いの記録を経て、円環構造として最後に再び第一章と同じ姉妹の話に戻ります。

姉を死に追いやった親の偏見、同性愛者に対する赤狩りに似た差別と偏見、そして望まず薬物依存になってしまった被害者への社会の間違った理解、彼女は常にスティグマ(差別と偏見)と闘い続ける闘士でした。



■ 写真家としてのナン・ゴールディン

もともと少し写真をやっていたこともあり、最近だと 「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」 など、写真家を描いたドキュメンタリーは観るようにしているのですが、彼女の作品は荒木経惟氏とコラボした『TOKYO LOVE』ぐらいしか知りませんでした。

ただやみくもに抗議活動を行うのではなく、『アート界における影響力ランキング(POWER 100)』に選ばれるほどの影響力を巧みに使い、サックラー家からの寄付を断らなければ自分の作品を美術館から引き上げるという脅しが使えるほどのアーティスト力を同時に兼ね備えている強さがありました。


■ オピオイド中毒について

私が『オピオイド危機』を知ったのは、プリンスやマイケル・ジャクソンの死、タイガー・ウッズの一連の騒動などで、度々『痛み止めの過剰な服用により~』 というフレーズが報道されるようになったこと。

『なんで、痛み止めの服用が中毒になり、死に至るんだろう』という素朴な疑問からでした。

オピオイド鎮痛薬は、もともと末期がん患者などへの終末期医療に使われていた薬。よく戦争映画で重症を負った兵士に対して激痛を和らげる薬として登場するモルヒネもオピオイド鎮痛薬の一種です。

本作で登場するオキシコンチンも、サックラー家が経営する製薬会社パーデュー・ファーマが1995年に開発したオピオイド鎮痛薬の一つで、ヘロインの一種であるモルヒネから中毒性を取り除いた『夢の鎮痛薬』、という触れ込みで爆発的に利用が広がってしまったもの。

今では様々な製薬会社が同種の薬品を出すに至り、オキシコドンやフェンタニルなど色々な名前のものがあるようですが、要は麻薬の一種であり、依存性が高く、体への負担も強いため使い方を誤れば死に至るという劇薬なのでした。

2017年には当時のトランプ大統領が『公衆衛生の非常事態』を宣言し、個人的には『お騒がせ大統領にもまともな面があるんだな』と思ったことも記憶にあります。

冒頭、2018年の映像で、10万人の命が奪われたとありましたが、エンディングには、”今や死者は50万人を超え、経済的損失は一兆ドルを超えている” とのメッセージが。

原爆での死者数が21万人、第二次大戦でのアメリカの戦死者が40万人と言われている( https://w.wiki/3u66 )ので、ある意味、サックラー家の行動が戦争を超える死者を生んだとも言えます。

映画では、美術館からサックラー家の文字が消え彼らの名誉は剥奪。また、現在、破産申請そのものも最高裁で再審理され、薬の処方にも厳しい制限が加えられるようになるなどナン・ゴールディンたちの闘いは一定の勝利を得ることができました。

ただ、依存性を伴うオピオイド鎮痛薬はアンダーグラウンドで今も不正に高値で闇取引されており、オピオイド鎮痛薬依存との戦争は未だに終わっていないところに闇の深さがあります。



感想:
元来、アートと政治的メッセージの相性は良く、本作はとても興味深く観る事ができたのですが、私のようにどちらも好きという人のほうが珍しく、どちらかを期待してみた人にはどっちつかずに感じる映画かもしれません。

オピオイド中毒については、先日「オッペンハイマー」でオッペンハイマーの妻役を演じたエミリー・ブラントが主演したNETFLIX映画「ペイン・ハスラーズ」が映画仕立てになっていてオススメです。

ペイン・ハスラーズのfujisanの映画レビュー・感想・評価 | Filmarks映画
https://filmarks.com/movies/107746/reviews/163824640

他にも、実話を元にしたNETFLIXドラマの「ペイン・キラー」や、ゲイリー・オールドマン主演の映画「クライシス」などがあります。

遺族のメッセージから始まる社会派ドラマの冒頭シーン | ペイン・キラー | Netflix Japan
https://youtu.be/8wIAFpejKsA?si=wrmvFtoINbEAoqoB
https://filmarks.com/dramas/13883/19039

なお、クライシスは観始めたものの、あまりの面白くなさに離脱してしまったのでオススメではないかも。。

ちなみに、オピオイド鎮痛薬は日本では厳しく使用が制限されているとのこと。映画を観ていると他国が羨ましく思えることもありますが、公的保険を含めた医療制度については日本は良く出来ていますよね。
fujisan

fujisan