いの

福田村事件のいののネタバレレビュー・内容・結末

福田村事件(2023年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

第一次世界大戦後、それは第二次世界大戦前、ということでもある。大正デモクラシー期、農村では、普通選挙法成立を望むごく少数の人がいる一方で、帝国在郷軍人会が地方にもしっかりと根を張っている。農婦がいて、モガがいる。日本の映画は日本の被害を描くことがほとんどで、加害を描く映画は極端に少ない。誰だって加害には目をそむきたくなるさ。だけど、被害だけを描いて加害を描かないのはフェアじゃないと思ってきた。関東大震災からちょうど100年。この映画を観ることができて本当に良かった。


流言飛語はあっという間に拡大する。人は自分が信じたい噂話を真実だと思い込む。真実だと思い込みたいから思い込むんだ。そしてそこには差別意識がある。SNS等での現状を思えば、過去の出来事とはとても思えなくて、観ていて絶望的な気持ちになる。それぞれが自分の意見を声高に主張するだけ、対話は成立しない。この映画だって、この事件が起きたことを否定したい人には全く届かないのだろうから、そう思うといったいどうしたらいいのかわからなくなってくる。差別意識というのはやっかいなもので、自分は大丈夫と思っている人ほど危ないのかもしれないし、わたしも自分では大丈夫だと思っちゃってるところがあるから自分で気づいていないだけで、何かあればわたしのなかにある差別意識があっという間に顔を出すのかもしれない。何か起こったら、わたしは内心では止めたいと思ったとしても、見て見ぬふりをして傍観者に徹し、あとから自分に対してあれこれ言い訳を連ねてしまうと思う。そんな自分を容易に思い浮かべてしまうから苦しくなる


自分が差別をしているということの無意識下における疚しさや後ろめたさが、怖れや憎しみへと変化する。緊張する場がずっと続けば、ふとしたことで何かが起こる。取り返しのつかないことをしてしまう。わたしたちはきっとそういう生き物だ。だからこそ、そうならないように。そうなる前にとどまれるように。必要なのは想像する力。相手のことを思う気持ちだ。そうわたしは思っているけれど、言い切れる自信もないから、少なくとも問い続けていきたいと思う。学び続けたいし考え続けたい。そうできるだろうか



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・飴を売っていた女の子がさいごに自分自身の名前を叫んだとき、わたしは、嗚咽を抑えることができずにもれ出てしまって、隣に座った方がいっしゅん気づかれてびっくりしてました。スクリーンから気持ちを逸らせてしまって申し訳なかったです。


・瑛太のさいごの、渾身の台詞が、本当に心に残る。あの台詞が全てを物語っていると思う。


・スタッフにもキャストにも敬意を。皆さん並々ならぬ覚悟でこの仕事を成し遂げたのだと思う。


・冒頭の井浦新の台詞があまりにもストレート過ぎて、実は最初ちょっと心配になった。監督の思いをあまりにも直接的に台詞でこのまま語らせていったら、映画としての質が落ちるのではないかと。でも、そんなわたしの心配は余計なお世話にすぎませんでした。
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