doji

ヒトラーのための虐殺会議のdojiのネタバレレビュー・内容・結末

ヒトラーのための虐殺会議(2022年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

「特別処置」「最終結論」といったことばで事実を直視することを巧妙に避けながら、虐殺や殺人について真顔で議論を進めていく。効率化と簡略化の推進が妨げられるのは、当然ながらその対象が人間だからであり、そのあたりまえの疑問をいかにシステマチックに対処するかが議論の争点となっていく。一見ただの会議なのにも関わらず、話されていることの異常性に冷や汗をかく思いだった。強制疎開させられるのに移動にかかる賃金は自腹、のあたりで思わず声をあげそうになる。

官僚主義による政治的な腹の探り合いの中でようやく「倫理」ということばとその片鱗をみせてきたと思いきや、だれもがユダヤ人が死ぬことに対して疑問にもたない。ただ殺される側と殺す側の非対称性が前提となった議論には腹が立つと同時に、ここのところの日本の政治家の顔も浮かぶ。この会議の延長線上の世界にいまだにいるのかもしれないと思うと、ほんとうにぞっとする。

アイヒマンの平凡性がここでもわかりやすく描かれていて、ハイドリヒが回答に窮するとアイヒマンが数字と論理を示す展開はもはやコミカルですらある。その行き着く先がアウシュビッツのデザインであって、彼らにとって虐殺はソリューションでしかないのだなと思う。

これは杞憂であってほしいけれど、徹頭徹尾この調子の本作は、彼らに対してなんのつっこみも入らないし、ましてや最後にブラッド・ピットが銃を持って彼らを殺してくれもしない。それゆえ、ひょっとしたらこの議論に頷きながらみる人が、いまの時代いるんじゃないかと不安になった。半世紀たった人類の倫理は、果たしてちゃんと更新されたのだろうか。
doji

doji