肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

正欲の肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

正欲(2023年製作の映画)
3.5
はじけろスプラッシュ。あなたは「水」がエロい事を知っていたか…?
いつからそのエロさを気づかないフリをしていた??
これはそんな"おフェチズム"と"「普通」じゃない異星人(みたいな地球人)"のお話

何からなにまで「普通」の人と価値観が合わず「水」にだけ癒やしを求める男。その男と元同級生として一瞬の同調を見せたもののそれ以降の出逢いに恵まれずその男との再会を舌なめずりしていた女。大学ダンスサークルを軸にただひたすらに自分の「欲」をひた隠し他人との接触も頑なに無視してきた男子学生。その学生になぜか惹かれる"異性恐怖症"の女子学生。
そんな変態らを検察官の立場で何人も処してきた家庭に不和を抱える『普通』代表の男。
の様々な視点で「普通/変態」と「理解/不寛容」の境界線を問う"生きづらさ"の群像劇…とこれは言えるのだろうか??

一人回転寿司ができる猛者だったり、契約結婚に漕ぎつける為にストーキングムーヴするガッキーもまたダイバーシティ
 
「変態」だって、「変態」だからこそ、『同胞(・同星人)』と繋がりたいのだ

"造語タイトル"のキャッチー&ストレートさと話題作を原作・映画共に連発する朝井リョウ先生原作だから少々の期待は抱いていましたし、大変興味深く観させていただきました。
女性陣(ガッキー、東野絢香)含め、俳優陣の演技も印象に残りまくりまクリスティなので素晴らしいのは間違いないです。
ただ、同じ「水(底)」フェチ映画として("解釈"の問題)『アンダーカレント』と違い"刺さらなかった"という正しき認識かなと思います…
『まともじゃないのは君も一緒』とテーマが少し似通ってるし、公開順や観る順で評価も大分変わってきそうです…
ま、『まともじゃないのは君も一緒』まだ未見なんですがね😉

原作未読なゆえ断定的な事は決して言えませんが、「核心」に迫らない"上辺の「変態」"は果たして「変態/異星人」と言えるのかも、この映画を通して"悪い意味"で考えさせられた。という意味では一抹の感謝は覚えたと言っていいのかも…👍

今作のような「フェチズム」、つまりは"価値観の衝突・不同調"で『変態』自覚の皆さんは、
「これは私の物語だ!」と
チョロく尻尾を振るべきか否か?今作が描く、そんな"容易い感性"で"わかった気"にさせるのか??
がある意味では『大問題』だからこその「不和/衝突」なのです。

なぜこの映画に"引っかかり"を覚えるのかというと、社会の無理解、不寛容を"問題提起"してる体でその程度の描写で「俺、"変態"なキミたちをわかってるよ」と上から擦り寄って来てる感じが、ある種の"不快感"や"イライラ"に変換されたんですよね…
まさにダンサー孤高男子大学生(佐藤寛太)が言い放つ
「苦労したね、可哀想だね、と受け入れられる前提で自分話して擦り寄ってくんな」(詳細は大分違う要約)
にこの映画が"嵌っている滑稽さ"や"皮肉さ"が滲み出ているのではないかな?とふと感じさせたのです…
それを狙っていたのなら、評価がひっくり返るバイタリティを秘めているのですが、それを乗り越えるほどの"回答"をこの映画が避けてる時点で覆しようのない"薄っぺらさ"は避けられないと思ってしまいました…

今作のガッキーは日本を代表する美人女優で皆に愛される「ガッキー」たる"オーラ全消し"で死んだ目のぼっちーで、学生時に袖触れ合った「水フェツァー」を10年以上も恋愛感情に似ているようで"全く違う"同胞・彼を求めてる"かわいくないガッキー"がたまらなくカワイイ!😝ビバ!暴走変態女ガッキー
そしてそして、今作で一番に突出して特筆すべきは"異性恐怖症"の女子大学生を演じた銀幕は初となる東野絢香さん!ニューカマー女優賞は彼女で決まり!🤗圧倒的ホラー女優映えしそうな"幸薄オーラ"で、短い出演時間で"役そのもの"を体現できてるのは凄い。ドラマ『おちょやん』で一気に注目視されたかも知れませんが、今後の活躍に期待しかない女優さんです。
むしろ彼女の熱演とこの映画のテーマ、「群像劇」としての"描き足らず"で返って"悪目立ち"して、枠をハミ出して輝いて見えるほどの"特異点"でもあったので、良くも悪くもあるのがこの映画の問題の1つ。

そこで言うと、稲ガッキーこと稲垣吾郎さんの役も「検察官」という『普通』からハミ出してるかのような役柄ですが、"一般の価値観"を押し付ける『"普通"代表』の視点として機能してました。
失礼になりますが一般的な美人女優を充てない子の悩みを持つ"一般人"を演じる"挑戦"的な「高圧」役ですが、『法廷遊戯』の北村匠海さんと同じで果たして"彼で正解だったか?"も話題性とは別に疑問符に感じました…

でも思うのですよ、閉鎖的価値観で"生きづらい国日本"と言うけど、お『変態』の皆さんは日本に生まれて幸せさんねって。だって
『推し』 = フェチズムの形の1つ
だと思うんですよ。
つまりは""日本《総》変態国""と評しても問題ないんじゃないかな?と密かに思っておりますw ガラパゴス・コンテンツ発祥地で他国が見た「"COOL"ジャパン」の根底は実はそこから起因している。

「変態」だからってある"一定数"の人員の同胞がいれば「人権(市民権)」は得られるのです。
あくまで一例ですが、『Vtuber』とか仮想の見た目の着ぐるみした人『偶像』に銭を投げつけているんですよ?
あくまで"端から見れば"狂ってるとしか言いようがない異常行動なのに、それが「コンテンツ」として承認されれば"我が物顔"で貢がせ、貢ぐ"カルトという名のwin-win"が成立します。

このように「フェチズム」て本来"醜く"、"汚い"ものであるから"他人に理解されない"部分が大きいはずなんです。それに、今作では都合よく"暗喩"的に描かれてましたが
フェチズム = オーガズム
と密接に関わっているべき内容なのに、『水』という"クリア=清潔感"を描こうとする"欺瞞(逃げ)"がそもそもに"拒絶反応"をそこそこ刺激してきたんですよねw
"湿り気とは淫靡"なものにセットなので、"下心をお洒落に描こうとする下心"に嫌気がさしたというか…(笑)

色々と"足りない"と言ってはきましたが、「原作」由来の『フェチズム』に対する"多様性(自由)さ"について、きちんと"境界線"を描き切る「構成」は評価すべきと思います。
この映画のフィルタを通すとつい「児童性愛」も"許容すべき"という曲解したメッセージとして受け取ってしまう恐れがある…が、厳密には"裏解釈"という余幅があるような発言は避けるが、ちゃんと同上線に挙げて"超えてはならない一線や意識の違い"を明確にする"誠意"は「フェチズム」の仕分けとして"果たすべき役割"を果たして理解を促進させると思います。

個人にとって"微妙"だった映画ほど、理論的に語りたくなる癖が出てしまって、たまに言いますがこれでも一部だから許してちょ😉

"三人目の「水」フェツァー"役堺雅人さんとかとびっきりの俳優にカメオ出演させていたら評価爆上がりなんですけどねぇ🤪(シュールな面で)
割りと一定数の人が稲ガッキーも"なにがしかのフェツァー"(もっと言えば…)である可能性に賭けてる人が多かったと思うのですが、そういう"思惑"から外れて徹底した『普通』の圧を選択した事に"大きな意味合い"を感じとれたかも"完成度"が変わってきそうです。