新垣結衣の最後の一言に、どう感じるか。
胸がすく思いだろうか。
胸が痛いだろうか。
ぼくは世の中にマジョリティなんて、存在しないと思ってる。
多様なマイノリティが集まって、寂しさを紛らわすために、マジョリティという「かりそめのもの」を造っているにすぎない。
でも「自分はマジョリティなんかではない」と本当は分かっているから、マジョリティとして振る舞えば振る舞うほど辛くなる。
マジョリティとは、一時の安堵が得られる麻薬のようなものだ。
稲垣吾郎だってきっとそう。
「誰にも分かってもらえない何か」
を抱えてる。
でも、それを隠してマジョリティとしての格式を心得てここまできたわけだから、尚のこと子供に道を外れるような真似をさせるわけにはいかない。
我慢の先に成功がある。
噴水の中で、はしゃいでる画像が誤解を生むのは、痛ましい限りだ。
多くの人は、どこかほんの少しでも理解し、分かち合えること見つけ、喜び、それを生き甲斐として人生を送る。
ある種、その「ほんの少し」を見つけられた彼ら、彼女らは幸せなんだと思う。