現代版スワロウテイル
グリコには飛び出しても戻る場所があったが、キリエには飛び出す場所も戻る場所もない
いや、
キリエだけでなく
かりそめの仲間たちも
聴衆も
誰にも戻る場所なんてないのだろう
ライブには一体感なんてものはなく
それぞれがそれぞれの音を聴き
それぞれに手を叩き、揺れ、腕を組む
ひとりが好き
「私は私で見上げる空は
碧くても 暗くても
愛しくて 優しくて」
その通りかもしれない
10年後、懐かしく思い出されるのは、
みんなで盛り上がった文化祭でも、
キャンプファイヤーでもなく、
部屋で1人楽しんだYouTubeのショート動画
の映像なのだろうか
スワロウテイルのようなノスタルジーは、
もうこの世にはない
ただ、袖擦り合う縁が、
一時的に近いては離される
それなのに、何でぼくはこの文章を書き
ここに投稿しているのだろう
ひとりが好き
「ねぇ
あなたを想うと
見上げる空は
悲しくて 切なくて
どこまでもどこまでも」
それでも
誰かと一緒に「見上げる空」が
愛しくて優しいものだと
どこかで期待しているからなのかもしれない