このレビューはネタバレを含みます
フィルムライクでビデオアナログな世界観。ズーム音。おだやかな世界観から二人の愛のある関係性が伝わってくる。笑顔が素敵だ。ソフィは思春期だけど父親想いでかわいらしい。一方でわがままを言えず言いたいことも抑えたりしてるようだったり、カラムもところどころ苦しみに似た感情で笑っていないと正気を保てないギリギリの精神状態にも見える表情をのぞかせる場面もあり、苦さを感じた。
最後なかなか帰らないソフィ、明るく振る舞っているけど別れ難いところもあったんだろうな。20年後、自分が当時の父親の年齢になり、親の愛情として思うものはあっただろう。どうして今このタイミングでソフィはビデオを観ているのか、父親カラムは元気にしているのか、二人の関係性は今。語られないことは多いけれど、語られないことの中にある豊かさを描いてくれている映画だと思います。きっと私たちが目撃した回想シーンに描かれていない、ビデオには映っていないけれどソフィの中で想い起こされる記憶というのがあっただろうし、ビデオとしての記録とソフィの中の記憶と想像、これらが地続きに混ざり合いながら「父親」を想うこと自体が「アフターサン」ローションを塗る行為のようなもの=主題なのかなと思いました。
実際には何がどうというのは物語の奥側にあって良いと思います。ミニマリスティックな描写の中で、しずかに、やさしくじんわりと沁みてくるような映画でした。
娘・ソフィが寝息を立てて眠る中、ベランダで父親・カラムが煙草を吸うシーン、山の上で動きを二人で真似するシーンが好きでした。
「同じ空を見るってステキ」
「どういうこと?」
「たとえば…遊び時間に空を見上げて太陽が見えたらパパも太陽を見てると思える。同じ場所にいないし離ればなれだけどそばにいるのと同じ。だからそうやって私たちが同じ空の下にいるなら一緒と同じ」
50分あたりの画面全体は平積みされた本とブラウン管のテレビを固定長回しで映しながら、鏡越し・テレビ画面越しから二人の姿を浮かび上がらせるような画作りが巧み。プールや泥の水面を映すカット、じわじわと浮かび上がってくるインスタントカメラの写真のカットなど、画作りにこだわった印象的なカットが心に残りました。
「生きたい場所で生きろ。なりたい自分になれ。時間はある」