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それでも私は生きていくのgcpのレビュー・感想・評価

それでも私は生きていく(2022年製作の映画)
4.5
わたしは自分が1番だ、というか自分のことだけでギリギリで精一杯。自分のことが大嫌いで本当死ぬほど大嫌いだけど、自分のことがたぶん可愛くて仕方がなくて、それゆえ自分の感情が第一になってしまうのも事実だと受け入れなきゃなんないと思ってはいる。けれど経験が全てなのだと思えるようになってから、つまり年齢と経験を重ねて俯瞰で物事をみたり他人を尊重できるようになってからは、少しだけ誰かのためになる行動ができるようになった。だから生きている意味を見出せるとも。それも束の間、自分のことを後回しにしなければならない世界が少しずつ近づいていることに戸惑っていたのだ、ちょうどここ数年。むしろ今まで自分の心配さえしていればいい人生だったてことは、幸福で贅沢なことだったんだね。気づいた時にはもう遅い。まだまだずっと自分のことだけを考えていたい、いたいというかまだその段階なのだ、どうやったら自分が幸福でいられるかを何より先に考えないと身動きがとれない、そんな生死の間にいることもひたすら苦しいけれど、いかに他人が幸福でいられるかを考えるのはその何百倍も辛いこともいちおう知っている。親が子供が愛する人が目の前で溺れている姿をみるのは自分がどんなに何かに深く溺れるよりそしてそのまま死に至るより辛いことなのだ。つまりこの映画は現代の鬱映画だった、「くっ苦しい...」と言葉にだすひまもなくありふれたなんてことない、そしてただ受け入れるしかない日常が現実が暴力的にうつる。フランス映画らしい愛≒セックス至上主義によるすれ違いみたいなのは不倫も相まって只々知らんがなでしかないけれど(たぶんそんなのが『グッバイ・ファーストラブ』では個人的にダメだった、知らんがな過ぎた)たまに小さく「むかつく」と呟くだけのレア・セドゥだからこそ現実や日常のしんどさが滲み入るように伝わってきてエンドロールから上映後のトイレに行くまでの間にへなへなとしゃがみこんでしまうようなダメージを受けた。それでいて、原題はun beau matinなので、「それでも私は生きていく」なんて決めつけた邦題はやめておくれよ、と鑑賞中思ったが、どこか、へなへなになった状態から立ち上がらせてくれるような力を持ち合わせいる映画でもあった。それは希望とも違くて、悪夢から目覚めた時に思わず飲む水のようなナチュラルな感情に近い。自伝にun beau matinとつけた父ゲオルクの生き様をみたからだと思う。それは冒頭のひいばあの言葉にも繋がるような。だからわたしも自分を第一に生きる時を終えたとしても、またもや自分を第一に生きなければならない時を迎えても、自分や他人を哀れまず誇り高く存在していたいと思った。たとえ肉体がどうなっても魂は燃えている人たちみたいに。レア・セドゥ、バスの窓越しにうつる表情わすれられない。
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