千彩

怪物の千彩のネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

公開初日、朝イチで鑑賞。
夢中になったし、面白いと感じたし、映像は美しかった。
でも面白いと感じた自分にちょっとガッカリした。面白いイコール愉快だ、という意味ではないけど、やっぱり面白がっていい内容とは思えなかった。
映像は美し過ぎた。特にラストシーンは。

視点が変われば見え方も変わる、というのがこの映画のキモのようだ。でも、あまりにも極端だと感じた。特に保利先生。
制作陣も、展開上必要な変化に、無理があるとわかっていたと思う。だから保利先生の「怪物的」な部分を、「彼女の影響」にした。飴を舐めるのも、「シングルマザーあるある」等と発言してしまうのも、恋人の影響。その恋人は途中で退場する。保利先生を怪物的に見せていた原因は彼の中というより主に外にあって、それは勝手にいなくなるのである。なんだかね。

メインキャラクター(母親、保利、校長、子供たち)を怪物のようで怪物でないものにするために、周縁化された悪意が気になった。
無責任な教師たちのドタバタは喜劇で、ちょっと笑って流してしまいそうになる。
「ドッキリだ」と言ってイジメる少年の悪辣さはぞっとするほどだし、息子を「治療」しようとする父親には嫌悪感しかないが、この2人にはラスト一瞬「仕方ないよね。みんないろいろあるんだもん」みたいに挿入されたシーンがあって、これが一番、堪えた。
この映画はクィアな人物を描きながら、徹頭徹尾マジョリティのための、それも鈍感なまま生きていける自分を含めたマジョリティのための映画だった。
マジョリティ同士、目くばせしあう映画だ。仕方ないよね、みんないろいろあるんだもん、と。

ラストシーンは美し過ぎた。あまりに美しくて、目を絡まされた気分だ。なんとなく、感動的に終わらされた感じ。
子供たちは、駆け出して、柵のない、もはや行き止まりのない線路を駆けていくのに。
生まれ変わりなんてない、だから変わらなくていい場所に行く。
保利は台風のなか湊に謝罪するけれど、子供達にはその声は一言も届かないまま。(でも、観客は彼の謝罪を聞いて、それで満足できたりする。もはや聞く者はいないのに)
残酷過ぎて呆然とする終幕だった。

いろいろ気になること。
・父親の生まれ変わりについて。
父親がいつ、何に生まれ変わるのか、という話題が劇中に何度も登場するけど、虫、キリン、馬…と、「何で人間に生まれ変わる想定がないんだろう?」と思っていたら、「あ、そういうことなのね」っていう。母にとっても子にとっても、父親は畜生道に落ちているという前提であることに笑ってしまった。

父親だけでなく、「生まれ変わる」はこの映画の重要なモチーフとなっている。
子供たちが土砂に埋もれた車両からではなく、その下の暗い水路から出てくる…というのは、胎内めぐりを意図したものと思われる。それでも生まれ変わりはない、と二人は会話する。生まれ変わらなくていい、というメッセージは彼らへの救いのつもりなのかな…?

・校長のこと
校長、孫の事故を夫に被ってもらった、ということになっているけど。スーパーでの校長の様子を見る限り、孫の件も事故じゃなく、わざとだったんじゃない…?まさか死ぬとまでは思ってなかった、って感じで。そのことを一生、口をつぐんで生きていく覚悟がある人なのではないか、と勘繰っている。

・台風の日の星川
台風の日に湊が星川の家に行くと、なぜか服のまま湯船に入って意識がない(寝ている?)星川。
名前を呼んで星川を引き摺り出すわけだけど、あのシーンの意味とは…?
父親の治療と称する虐待…?もしかして、この時すでに星川は亡くなっているという可能性もある…?であれば、荒天の中基地(車両)に行ったのは湊だけってことになるのか(これは流石に妄想が過ぎるだろうか)
千彩

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