織田

怪物の織田のネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

ラストシーンはポジティブに受け取った。けど、全体的に「人はこれだけ多様な加害性を持っているんだよ」と言われているような映画だった。その無意識的な加害性を自分が有していることを思うと、他者と関わること自体に及び腰になりそうで怖い。


人を変えることで「主観」の持つ一方的な見え方を炙り出し、事象を別の側面から切り取る手法は『ミセス・ノイズィ』等に似ている。城北小学校の校長室で薄ら笑う保利先生に麦野母が切れるシーン。あまりにも学校側の対応が露悪的に描かれていたので「先生側の立場だとまた違うだろうな…」と思っていたら、実際その後に保利視点のパートがやってきて驚いた。

麦野母視点での保利が舐め腐った非常識野郎に映る一方で、保利にとっての麦野母はただのモンペの一人に過ぎないのが面白い。もはや教員が恐れおののくモンペですらないかもしれない。保利が敏感になっていたのはむしろ同僚や恋人(高畑充希)の言動の方。

ちなみに西田ひかるや野茂英雄を引き合いに出しながら、在りし日の保利少年の作文を先生が読むシーン(滑ってて可哀想ですね)、野茂がドジャースでノーヒットノーランを達成したのが96年なので多分その辺の話なんですが、湊が1996とプリントされたTシャツを着てたのが印象深い。

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『怪物』の大人たちは信用ならない。麦野母も学校の教職員も、自分の物差し(価値観)に基づいた主張をする場面が目立っていた。その主張は時に、多様性に対する不寛容に映る。とはいえその物差しに縋る事情が各々にある部分も紹介されるので、前時代的だよねこの人と批判することも難しい。(中村獅童が演じた星川父の場合はヤバい所だけがフィーチャーされていた。ゆえに自分の価値観を守ろうとする意味が分かりにくくて突出した悪に見える)

その信用ならなさは子どもたちも同様だと思っていて、いじめの首謀者たちは依里を異物扱い。発言力の強い彼らに巻き込まれるように、湊も自分の中の「人とは違う」部分に思い悩む。
ただ、いじめっ子たちとは比べ物にならないほど美しく、瑞々しく描かれている麦野湊、星川依里にもどこかへの加害性はあるわけで、この二人が純粋さによって一方的な被害者に見えてしまうのも、それまでの多面的な構成から考えると何か違う気がした。

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あとクリーニング店のお客さんや保利の同僚教師による噂話は見ていてきつかった。「〜らしい」という伝聞が「ここだけの話」的なヒソヒソによって真実味を(聞く側に)与えて拡大解釈されていく怖さ。不確定情報に自分の感情を上乗せして人に吹き込むとかマジで醜悪。だから噂話って嫌いだし関わりたくない。
ガールズバーという場に対して、全体的に後ろめたさとか眉をひそめる様子が見られたのも印象に残った。(もしガールズバーじゃなくてスナックだったらあんなに嫌悪感を示す?と思ってしまう)
織田

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