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怪物のKtoのレビュー・感想・評価

怪物(2023年製作の映画)
3.8
【ひとこと説明】
小学校で起きた教師による体罰事件を複数視点から繰り返し展開することで、徐々に事件と周囲の本態が明らかになっていく話。
話の進行に伴って、ジャンル横断的に映画の印象が変わっていくのが凄い。

【感想】
●複数視点からの描写は絶対に面白い
45分程度の話が3本立てになったらどうなるか、という発想から生まれたプロットらしい(wiki)。
異なる視点からある出来事を繰り返し描く構造であり、俗に言う「羅生門型」のプロット。難解なものは「去年マリエンバートで」から、有名なものは「ユージュアルサスペクツ」まで同様のアプローチをとっているが、間違いなく面白くなる形式だと思っている。

第一部のシングルマザー(早織)の視点では、「公立小学校の質の低下」や「子どもの心理・教育」を論う社会派ドラマの雰囲気が漂っていて、絶望的に不愉快な学校側の対応に、母親同然に怒りを感じる。しかし、二・三部に進むにつれて、当初の印象が一方的な視点によって形成されたものであることが発覚し、被害者・加害者の立場が揺るがされ、終盤には無垢な少年達のユートピアにまで到達する。

サスペンスが維持された状態で徐々に全貌が見えてくる展開は非常に気持ちいい。

●悲劇とユーモアの共存
坂元裕二さんの脚本の素晴らしい魅力である、悲劇とユーモアの共存は今回も健在だった。東京03の角田さん演じる教師は、物事を穏便に済ませようと腐心するが、幾分か空回りしていてはたから見ると滑稽だし、曰く付きの校長先生は喪に服していることを強調すべく孫の写真の角度を調整する狡猾さがある。もちろん当事者達は必死なんだけど、その姿がシュールで、思わぬブラックユーモアが散りばめられてるのも良かった。

花束みたいな恋をした、でも笑っていいのかわからないユーモアがあった様に。

●被害者と加害者
脚本家が公言している様に、被害者と加害者の立場が揺らぐような仕組みになっている。普段は皆、自分が加害者になることをあまりに意識しないでいる。そのことに警告を鳴らすようなプロットである。#metoo時代に、敢えて権力者側の視点から世界を描いた「TAR」にも共通する発想だと思う。

第一部の早織の視点では「どう見ても頼りなく、心ない謝罪を繰り返す能無し教師」が、「見た目で損をしがちで少し不器用な普通の男」であることが発覚する。我々は無意識に、ごく一部の言動・特徴から、他人の印象を決めつけているのだと痛感させられる。他人の行動動機を理解することは、非常に難しい。小さな嘘や誤解が大きな波紋を呼んでしまうという、人間の愚かしい習性が戯画的に描かれていて、攻撃力が高い。

●クィア性について
下記の記事が非常に詳しく、この映画の「問題点」を論じている
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/movie-kaibutsu-review-202306
端的に引用すると、「2020年代に入ってからも多くの画期的な作品が作られている。それらのインディペンデント作品の多くが単館系の映画館のみで上映されているため、アクセスの不均衡は課題として残るものの、VOD配信サービスの発展もあり、国内外のクィア映画を見て目の肥えた観客は多い。そうしたなかで、『怪物』が内包するある種の「遅さ」に苛立ち、残念さ、しんどさを覚えた観客もいるだろう。」に尽きる。
また、明らかに同性愛としての文脈で語られるべき映画であることは間違いないが、そのクイア性を矮小化した方法で宣伝されているのは、日本の劣等性を痛感せざるを得ず、残念に思う。
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