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君たちはどう生きるかのKtoのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.0
【ひとこと説明】
小説「君たちはどう生きるか」の主軸である、次の世代への切実なメッセージ性が、徹底的に"ジブリ"的な世界観の中で語られていく映画

恐らく自分も気づいていない細かいメタファーや作品のメッセージは、無数にあると思う。

【感想】
⚫︎"高低"の世界観、実はシンプルな成長譚
ラピュタ、ナウシカでも見られた、上下で異なる世界が並行する設定を採用している。現実世界とは別の超自然的な世界での経験をメインパートとする流れ。"別の世界"への道は、トンネル的であり、千と千尋の神隠しを彷彿とさせる。

大人に比べて(比較的)純粋で創造力の高い子供が、"別の世界"での経験を基に現世でよりよく生きようとする成長譚、というのも非常にジブリらしいと言える。

⚫︎後世の選択
大叔父が塔の中に消えて久しい。彼は別世界の創造主となっていた。木を積み上げ、世界の均衡を保つことに実存性を見出していたが、性急な"鳥"にいとも簡単に世界を壊される。引継ぎを見込まれていた眞人は、案外拒否的であった。これは、後世の子孫が先祖のやったことを引き継ぐことよりも、先祖がやったことを踏まえて現実世界をよりよく生きることを積極的に選択した結果なのかもしれない。

一説には、アニメ界で偉大な業績を残した宮崎駿自身が引退するに当たり、後世のクリエイター達へのメッセージを含有しているとのこと。納得。

⚫︎"マルチバース"ではない、並行世界
塔の中の別世界は、現実世界の複数の時点と接点を持っているが、いずれの接点も単一の"現実世界"に接続しているのだろう(誤解だったらすみません、コメント下さい)。母親は、母親自身が子供の頃の姿で塔の中の世界に来ており、現時点での眞人と交流している。しかし眞人は、その母親をそこに留めておくことはできない(運命が変わってしまう)。また、塔の世界からでると記憶が消える。

以上を踏まえると、今回の設定は、近年MCUやエブエブで採用されている"マルチバース"=多元的宇宙(複数の現実・現在が同時に存在する)ではなく、むしろ一昔前のタイムリープものに近いと思う。バックトゥザ・フューチャーやバタフライエフェクトは、過去に戻って単一の現実に変化を加えると、結果として"現在"が変わってしまうので、こちらに近い。

では、現実世界の過去に変化を加えて運命を変えることもできず、ましてや帰ってからの記憶も消えるかもしれない別世界を経験する意味ってなんなのだろう…。

これは読書や映画など虚構=フィクションを鑑賞する体験に近いのではないかと愚考した。
つまり、フィクションの鑑賞だけでは現実世界の運命を変えることはできず、暫くすれば大部分の記憶も消えるのに、何故鑑賞(そして一部の人は創作)するのか、という"物語"の存在意義についての根源的な問いである。

それは、虚構であるはずの"物語"が現実世界に様々なレイヤーで働きかける可能性がある、ということである。(カッコよくいえば、フィクションがリアルに影響するという感じかな)

眞人は、別世界の創造主となった大叔父の"過去"を延長するのではなく、そこで経験した様々な感情と知見を現実世界に"持ち帰り"、現実世界を生きる上での糧とすることを選択した。

⚫︎メタ視点では、非常に原作に忠実な映画
普段持っている局所的な視点を離れて、社会学的な視点を(映画では、よりスピリチュアルな視点を)新たにインストールすることで、自分自身の立ち位置や理想的なふるまい、ひいては「どう生きるか」についての示唆を与えるメッセージを、あくまで「自ら考えさせて掴ませる」という過程が、原作と映画に共通していると思った。
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