耶馬英彦

ペーパーシティ 東京大空襲の記憶の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

3.5
 1945年3月は、日本各地を大空襲が襲った。東京大空襲、名古屋大空襲、大阪大空襲。東京大空襲の死者は10万人だ。長崎原爆の7万人を超え、広島原爆の14万人に迫る。

 軍人や軍に勤務していた人たちの遺族には、遺族年金や遺族弔慰金が支給される。いまだに支給されている。支給しているのは自民党政権であり、戦没者遺族会は政党の根強い支持母体となっている。戦没者というのは軍人や軍勤務の人たちであり、一般の民間人は含まれない。つまり大空襲で亡くなった人々の遺族には1円たりとも公費の支給はなかった。

 大空襲の被害者たちが集まる街頭集会の横を、右翼の街宣車が通る。拡声器で「東京大空襲。悪いのはアメリカであって、日本ではない。国に補償金を要求するなんて、そんな乞食みたいなことはやめなさい」と叫ぶ。それを虚ろに見つめる老人たち。しかし集会の目的はカネではない。街宣車の右翼は老人たちの目的を歪めて解釈し、非難しているのだ。街宣車の費用や右翼たちの日当は何処から出ているのだろうか。

 大空襲の被害に遭った民間人が求めているのは、補償金でも年金でも弔慰金でもない。国が民間人に大きな被害をもたらした責任を認めることを求めているのだ。カネよりも責任の所在である。その先には、国として二度と戦争をしない覚悟を約束してもらう目的がある。

 アベシンゾーからカス、キシダメと続く暗愚の宰相たちと自民党政権は、このところ急激に軍拡を進めている。戦争法案を通し、軍事予算を倍増する。そして国民の監視を強化する。マイナンバーカードのゴリ押しや電子帳簿保存法はその一環だ。街宣車の右翼もおそらくそうだ。日本を再び戦争国家にしようとしているのだ。

 国の威信という言葉を口にする者たちがいる。国の威信と国民の命を天秤にかけて、国の威信が大事だと言い張る。東條英機の精神性と同じだ。あまりにも愚かである。彼らは戦争被害の悲惨さを知らない。国民の命に比べれば、国の威信など無用の長物である。そんなものは投げ捨てて、他国に平身低頭しても、戦争だけは回避しなければならない。その覚悟がある政治家が日本にいるだろうか。
 しかしいま、国民の多くが、あまりにも愚かなその精神性に陥りつつある。国民の命よりも国家の威信。それは戦争に向かう精神性である。かつて大空襲で被害に遭った民間人のように、国家の威信のために国民は再び受忍を強いられることになる。老人たちの危惧は計り知れない。
耶馬英彦

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