ヘルシア

風の谷のナウシカのヘルシアのネタバレレビュー・内容・結末

風の谷のナウシカ(1984年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

「風」と「心」という、目に見えない存在を大事にしたナウシカが、森の虫と心を通わせて共存を目指す。
ナウシカは町の姫であると同時に、優秀な船乗り(風乗り)だった。研究熱心で胞子のサンプル採取やそれを活用した培養にも取り組んでいた。それを可能としたのは、彼女の「異となるものを受け入れる心の広さ」であった。見た目が決してきれいとは言えない虫たちや人間を蝕む胞子にも拒否感を示さず、包み込もうとした。彼女が目指したのは、自然と人間が共存する世界だった。
それと相反する勢力が現れる。クシャナ率いる軍団だ。彼女らは巨人兵を復活させ、腐海の虫たちを焼き払い、人間が統治する世界の復活を目論んでいた。左手を虫に食われた彼女の恨みは根強く、虫たちを駆逐することでしか、この世の安定は図れないと信じた。
そんなクシャナの心を動かしたのは、ナウシカだった。虫と会話をするように虫たちを落ち着かせるナウシカの姿を見て、クシャナは自分にないものがナウシカにあることを悟った。それが何なのか分からないまま物語は終末へと向かうが、オームの進撃に対して動員させた巨人兵が抵抗できなかったことで窮地へと追い込まれる。そこで再び、彼女を救ったのはナウシカだった。
勇敢なるナウシカが一人でオームの軍団に飛び込み、その勇気と優しさが認められてオームたちの心を動かした。怒りに狂って人間たちを駆逐しようとしたオームにも、心は通じたのだ。ナウシカただ一人だけは、その可能性を最後まで信じた。自分の脚が使い物にならなくなっても、死ぬかもしれないと思っても、虫たちと心を通わせることを諦めなかったのだ。
彼女が目指した自然と人間との共存のためには、立ちはだかる壁の高さと多さは尋常ではなかった。しかし、実は最も大きな壁だったのは、人間の心を動かすことだったのかもしれない。恐怖から腐海や虫を遠ざけることはあっても、彼らを理解し、自分たちの世界に取り込もうとするのは無理難題だった。風という、目に見えない人間には操ることのできない存在に幼い頃から触れてきた彼女は、虫も風も、人間が操ることは無意味だと知っていたのだ。操るのでなく、ただそっとそこに居るだけでいいのだと。先入観を持たずにただ居るだけ、その存在を受け入れるだけで、風も虫もまた彼女をありのままに受け入れるのだ。
人間が文明を発展させることができたのは、ただ人間だけの力ではないことを忘れてはいけない。自然の植物、大気、生き物、鉱物など、その恩恵に預かっていることを思い出さなければならない。まして、人間がそのような自然の上に立ち、全てを支配・統治しようとすることなど言語道断である。人間が生きていくためには、自然の恩恵を頂戴しなければならないし、人間もまた自然に対してその恩を返還できるよう関わっていかなければならないのだ。「風の谷のナウシカ」が公開されたのは1980年代だが、現代の我々の自然観にも通ずるところ、示唆するところがあるのは面白い。きっと「人間と自然の共生」とは普遍性のあるテーマなのだろう。ナウシカのように、それを諦めない人間が一人でも多くなることで、理想とする世界に少しずつ近づくことだろう。
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