ヘルシア

天空の城ラピュタのヘルシアのネタバレレビュー・内容・結末

天空の城ラピュタ(1986年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

それぞれの人物が求める「自由」が、対照的に描かれている。
主人公のシータは、命の自由を求めた。ラピュタ王国の女王である自分の存在意義を見つけたかった。飛行石の力や名誉はいらなかった。自然や周囲の人物の自由を、ひたすらに追い求めた。それは結果として、自分を自由にすること、己の心を解放することにもつながった。作中に空を自由に羽ばたく鳥の描写がよく見られる。一方でシータは、ムスカに閉じ込められてそんな鳥たちを羨ましそうに眺めていた。シータにとって鳥は、「自由」を象徴する存在だったと思われる。
シータの救世主となるパズー。彼は父がその存在を見つけたラピュタ王国が実在することをその目で見たかった。夢に生きる男の子。そんな彼の前に突如として現れたシータは、彼が夢に近づく鍵となり、一緒にラピュタ王国の存在に迫る仲間として認められた。そこに利害関係はなく、互いの求めるもののために、そして相手を自由にするために懸命に生きた。
ムスカは、飛行石やラピュタ王国の力を使って、己の自由のためにこの世界を力で支配しようとした。自分以外を信じられなかったのは、他者に言えない秘密があったから。彼もまた、ラピュタ王国の王族の末裔だった。己の自由と支配する欲のために、周りの人間を悉く利用したムスカ。それはシータが求める「命の自由」と対照的に描かれ、視聴者に本当の自由とは何かを訴えかける。
海賊一家が求める自由は、財宝と家族。財宝を得るために盗みを働いたが、その過程で自分たちの仲間を見過ごすことはなかった。財のみを求める賊にあらず、彼女らは人を大事にする人間だったのだ。目的を同じとするシータとパズーが途中から加入したが、一家は彼らを異なものとして扱わず迎え入れた。ラピュタ王国が崩壊するときも、ぎりぎりまで彼らの到着を待っていたのだ。最後はきちんと財宝を手にして海賊らしさを見せたが、飛行船を失った悲惨さがその財宝によって救われるという明るい光を残しているため、財宝=下賤というイメージが付きにくい。
ジブリならではの「自然観」の中に、「自由とは何か」を考えさせられる作品。人間が自由を得ることは、科学技術を駆使して好き勝手にこの世界を操ることではない。自然に対する畏敬や共生を、必須としている。公開はだいぶ昔だが、現代の世相を風刺しているとさえ思われる内容に仕上がっている。科学技術の発展によって効率化、経済の拡大を優先するだけでなく、必ずそこに「自然」との付き合い方を考慮していかなければならないだろう。
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