イホウジン

風の谷のナウシカのイホウジンのレビュー・感想・評価

風の谷のナウシカ(1984年製作の映画)
4.0
戦争は地球に何を遺すか?

世界観自体はファンタジックでありながら、中身は完全に戦争映画だ。序盤からいきなり壮絶な戦争のシーンが差し込まれるし、風の谷の平和もほんの一瞬で崩れてしまう。その後はひたすらに人間同士の争いとそれに対する怒りに満ちた動物たちの争いだ。ここまでのあらすじから察せるように今作が「もののけ姫」のプロトタイプとなっているのは明らかだ。現に、物語の終着点や「共に生きる」とは如何なるものかというテーマについては後者でアップグレードされることとなる。しかし、それでもなお今作が“固有の”映画として愛されているのは、人類の戦争の愚かさが明確に描写されているからだろう。
よく観ると「もののけ姫」には決定的な敵役が存在しない。人間も自然も互いに傷つけ合い、それに終止符を打つために第三者的なアシタカが主人公として活躍する。だが、今作の人間の侵略活動は風の谷であれ腐海であれ一方的なものだ。しかし中盤に明らかになる通り、腐海における“浄化”が不毛な大地での人間の生活を成り立たせているのであり、それと共に生きようとするナウシカの姿勢はまさに今作の善だ。それゆえ、今作には比較的明確な敵が発生する。それは人間の「支配」の欲望だ。
自分たちのコミュニティを守るためにそれを侵害する対象に対して攻撃を仕掛けることは多くの動物がとる行動だが、人間の場合には文明化の歴史の中で次第にそれが「相手を服従させる(=支配する)」行為へと変化していった。闘い自体は悪いことではないが、それが自分たちの正当性を強化するための装置として動き始める。その成れの果てが今作における「巨神兵」だ。相手を支配するために生み出した道具が知らぬ間に人間の手に負えなくなり、逆に支配される存在という解釈をすれば、それと同様の事象は核兵器でも起こり得ることは容易に想像できるだろう。今作が絶望的なのは人間がそれだけ自分たちが生み出したものでひどい仕打ちを受けてなお、反省する気がないことだ。この状況の不毛さにナウシカは中盤に気付いて、それゆえ誰よりも深い絶望感を抱くことになるが、その途方もない虚無感を観客にも味わせることが今作の最大の目的だったと言っても過言ではないだろう。
そういう意味で、ラストは一概にハッピーエンドとは言い難いものがある。侵略してきた国の本体が見えてこない以上、今後も同様のことが発生する可能性は十分にあるし、人間と腐海の生き物達との“和解”も人類全体で成された訳ではない。映画としては一応のエンディングが用意されてこそいるが、実際その後を考えるとジブリの他の映画以上に不安になる部分が強い。

原作ありきの映画だからか、どうにも話の展開が唐突だったり雑だったりする所がある。世界観の構築という意味ではジブリの原型が完成されているが、物語の強度という意味では「未来少年コナン」の記憶が強かったからなのか、ダイジェスト気味になっていたように思える。
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