かめの

コット、はじまりの夏のかめののネタバレレビュー・内容・結末

コット、はじまりの夏(2022年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

絶対好きに違いないと初日に劇場を訪れたが、いまいちハマらなかった。
皆さんのレビューを観ると、感情移入出来なかった自分が悔しくもあるが……。

第一に、結果から出来事が作られていることに、物語として違和感がある。
アイリンはお葬式の際、つまらなそうなコットを見かねて、子どものいる知人に彼女を預ける。しかし、その知り合いはコットと二人きりになるや否やアイリンたちのことを下世話に探るような質問ばかり投げつけ、最終的に彼女たち夫婦の悲しい過去まで話してしまう。
ショーンがアイリンを「人の良い面ばかりを見るんだ、失望したくないから」と形容しているように、アイリンは預かろうと提案してきた知人を信じてみようとしたのかもしれないが、帰ってきたコットに何を聞かれたのか、何度も尋ねるところからして、元来ロクなことを話さない人だと分かっていたのだろう。

つまり、コットを預けたのは、作品上、コットがアイリンたち夫婦の「秘密」=亡くなった息子のことを伝える人物が必要だったから、としか思えない。その間に必然性がなく、知人もまるでそのために作られたような、悪意にまみれた人間でつまらない。

また、息子のことを知った後も、コットと夫婦二人の生活は変わらず、日常の風景が断片的に見せられるだけなので、「秘密」の共有を超えて生活していく中での精神的触れ合い、変化が見られないのはやや残念。

そして、コットとともに家へ戻った際、彼女が風邪を隠す素振りに疑問を持った両親に対し、本当のことを言わなかったアイリン、ショーンの態度も腑に落ちない。自分たちが目を離したすきに、命の危険にさらしてしまった……。息子を亡くした二人だからこそトラウマが蘇り、もしものことを考えて恐ろしくなるのは理解できるが、必死に風邪じゃないと言い張るコットに対し、急いで席を立つ姿は自己保身にもみえ、その先の感動的なシーンへと自然、繋がらない。

最後、父親が追いかけてくる必然性も描かれていないし(コットの帰宅時も相変わらず無関心で、特に伏線は張られていない)、やはり「ショーンをダディと呼ぶ」という結果を前提に、「父親が追いかけてくる」という出来事が作られたにすぎないよう感じた。

美しい風景に素晴らしい俳優陣、なんだけれど、脚本のせいか、アメリカのヒューマン映画を観たような、ご都合主義的な印象ばかりが残る。
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