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フープ・ドリームスのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

フープ・ドリームス(1994年製作の映画)
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製作が1987~1991年、公開が1994年、日本でのソフト化が2006年らしいのでそういう感じの時間軸で読みたい&保存したい以下の文章。紀伊國屋盤収録の"両家族のその後"より引用。

・アーサー・エイジーとその家族のその後

マーシャル高校卒業後、ミズーリ州のミネラル・エリア短期大学でプレイしていたアーサーは、そのチームでの活躍によってNCAAの奨学金を受けてアーカンソー州立大学で2年プレイ。その後、いくつかのマイナー・プロ・リーグのチームに参加していたが、1996年、試合への出場を辞退。この頃からNBAへの夢がしぼみ始める。彼曰く、「ハングリー精神を少しばかり失ってしまった」。彼は<アーサー・エイジー・ロール・モデル・ファウンデーション>を設立し、スラムの子どもたちが上の学校に進むのを援助している。また、<フープ・ドリームス・スポーツウェアー>を興し(キャッチコピーは「Control Your Destiny=運命をコントロールしろ」)、MTVの協力を得て、ロゴ入りのTシャツなどの販売を計画しているという。また、彼は2人の男の子と2人の女の子おの父親となっているが、彼らの母親は全員別の女性である。
アーサーの母シーラは主に裕福な家庭を顧客に、看護師として働いている。アーサーの父、"ボー"エイジーは生活を改め、映画にも出てくる地域の教会で牧師として働き、また衣服のセールスマンもしていた。しかし、2004年12月15日の夜、商品の売買のためにある男と裏通りで会う約束をしていた彼は、射殺された姿で発見された。

・ウィリアム・ゲイツとその家族のその後

1991年秋にマーケット大学に進んだウィリアム・ゲイツは、2年後にガールフレンドのキャサリンと結婚。一時、バスケット・ボールから離れたり、また戻ったりという生活を送っていたが、'94年に『フープ・ドリームス』が公開され大ヒットとなったために、アーサー・エイジーと共にテレビへの出演や公演ツアーに勤しんだ。'95年に大学を卒業し、その後も講演活動を続け、イリノイ州オークパーク市の助成を受けて、地域の子供達がスポーツに取り組めるよう、ユース・サーヴィスというプログラムを運営。2001年には、マイケル・ジョーダンの勧めもあってバスケ界にカムバックしようとし、ワシントン・ウィザーズのトライアウトを受けることになっていたが、またしても足の故障で断念。NBAへの夢はついに叶わなかった。
同年9月10日、『フープ・ドリームス』にも出てくる兄カーティスが、三角関係のもつれから相手の男に監禁され、裏口から逃げ出して警察に電話で助けを求めているところを、男に撃たれ、死亡。36歳だった。ウィリアムは幻に終わった自分のカムバック計画をカーティスにだけは告げていた。カーティスは「もし実現したら、俺は仕事を辞めて、お前の行くところについていくよ」よ言っていたという。
ウィリアムはカブリニ・グリーンにあるリヴィング・フェイス・コミュニティ・センターでキッズ・クラブを運営、牧師として子どもたちを指導している。ウィリアムの母、エマは今も准看護師として働いており、ウィリアムとキャサリン、そして彼らの4人の子どもたちの家から5分の場所に住んでいる。

アーサー・エイジーとウィリアム・ゲイツは映画の公開後、友情を深め、最低でも年に一度は会っているという。2006年現在、彼らのその後を追った『Hoop Realities』という映画作品が、リー・デイヴィス監督の下で制作進行中である。

引用終わり。以下、2020年時点での適当な補足など。
上記の『Hoop Realities』は『Hoop Reality』として2007年に非公式の続編扱いで公開されている。ここに登場するのはアーサーのみである。また、2015年にクライテリオンが公開20年を記念してリマスター版を公開し、その特典としてスティーヴ・ジェームズ本人が監督し、アーサーとウィリアムが登場する『Life After Hoop Dreams』が収録されている。私は全く興味ないが、ファンには垂涎ものなんでしょう。
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