マーシャル高校卒業後、ミズーリ州のミネラル・エリア短期大学でプレイしていたアーサーは、そのチームでの活躍によってNCAAの奨学金を受けてアーカンソー州立大学で2年プレイ。その後、いくつかのマイナー・プロ・リーグのチームに参加していたが、1996年、試合への出場を辞退。この頃からNBAへの夢がしぼみ始める。彼曰く、「ハングリー精神を少しばかり失ってしまった」。彼は<アーサー・エイジー・ロール・モデル・ファウンデーション>を設立し、スラムの子どもたちが上の学校に進むのを援助している。また、<フープ・ドリームス・スポーツウェアー>を興し(キャッチコピーは「Control Your Destiny=運命をコントロールしろ」)、MTVの協力を得て、ロゴ入りのTシャツなどの販売を計画しているという。また、彼は2人の男の子と2人の女の子おの父親となっているが、彼らの母親は全員別の女性である。 アーサーの母シーラは主に裕福な家庭を顧客に、看護師として働いている。アーサーの父、"ボー"エイジーは生活を改め、映画にも出てくる地域の教会で牧師として働き、また衣服のセールスマンもしていた。しかし、2004年12月15日の夜、商品の売買のためにある男と裏通りで会う約束をしていた彼は、射殺された姿で発見された。